御供盛り(ごくもり) マナスエ神事

御供盛りの御神酒運び

滋賀県東近江市君ヶ畑にある木地師の祖神とされる惟喬親王を祀る大皇器地祖神社では、古くから御供盛り(ごくもり)と呼ばれる儀式が1月3日に行われている。今回許可を得てその全てを撮影記録することが出来た。御供盛りとは大皇器地祖神社に供える神饌を調進して、神前に供える儀式でマナスエ神事の事を言う。

早朝の6時前から主に髙松会の人達が、大皇器地祖神社の社務所に集まり用意を始める。御供はうるち米で作るが、6時30分頃から洗ったお米を蒸し始めた。8時15分には蒸し上がり、それをむしろでポイポイと練って御供が出来上がった。9時頃までには御供以外の神饌として使う物や神事の道具などの用意も終わり、それぞれが着物に着替える。やがて神職が到着し、10時頃には参加する人やお手伝いの人たちなど17名ほどが社務所に集まった。

神事の役に付いた人たちは素襖に着替え頭に冠を戴き、氏神主(1年神主)も装束を身に着けて10時30分過ぎから神事が始まった。
神事などの進行については、詳細な様子をYouTubeに【木地師発祥の地に伝わる伝統行事『マナスエ神事』御供盛りの記録】としてアップしているので、そちらを見て頂きたい。神事は途中お昼を挟んで、午後2時前には全て終わった。

参考文献:「-木地屋のふるさと- 君ケ畑の民俗」菅沼晃次郎著
         昭和46年3月20日発行  発行:民俗文化研究会 

君ヶ畑 文化財の虫干し

君ヶ畑の虫干し

木地師のふるさと小椋谷には、木地師に関する貴重な資料が数多く残されている。君ヶ畑と蛭谷には木地師を氏子として管理した貴重な記録である「氏子駈帳・氏子狩帳」があり、関連する資料と共に滋賀県指定有形民俗文化財となっている。

君ヶ畑の大皇器地祖神社所有の物は、滋賀県の資料によると君ケ畑木地屋氏子狩帳が53簿冊 、その他木地屋の関連資料で金龍寺所有の惟喬親王御縁起などが28点ある。
また蛭谷の筒井神社所有の物は、同じく滋賀県の資料によると蛭谷木地屋氏子狩帳が35簿冊、その他木地屋の関連資料で朱雀天皇綸旨などが67点ある。なお蛭谷では氏子駈帳なのだが滋賀県の告示では木地屋氏子狩帳と記載されている。

木地師に関する上記の資料以外にも君ヶ畑には室町末期から江戸中期にかけての貴重な文化財である能面6点などが残っている。それらは君ヶ畑の住民が管理しており、年に一度虫干しを行っている。その際に一般に公開した事もあるが、今年は非公開で10月10日に行われた。

少し前に君ヶ畑の自治会から虫干しの時に展示用に能面の写真を撮影してほしいとの依頼を受けていた。それは10月末に新しく「木地師のふるさと交流館」と言う木地師の資料などを集めた施設に展示するためで、私が約40年前に撮影した写真も展示用資料として提供した。
交流館では実物の能面は常設展示ではなくて、撮影した写真を代わりに展示するとの事だった。写真は掲載順に以下の説明が付いていた。

1 能面(翁・白色尉) 室町時代末期の作
2 能面(三番叟・黒色尉) 室町時代末期の作
3 能面(父尉) 室町時代末期の作
4 能面(延命冠者) 室町時代末期の作
5 能面(翁・白色尉) 江戸時代中期の作
6 能面(三番叟) 江戸時代中期の作

当日は生憎の雨模様で虫干しには適さない天気ではあったが、予定通りに行われた。能面の撮影の後に虫干しの様子などを撮影させてもらったが、天気が良くないので終了予定の時間を待たず午後2時頃には全ての片付けが終わった。