片山摂三写場の記憶と記録 その3

トップの写真は1972年に片山摂三写場のスタジオで、私が父を撮影したネガと写真である。フィルムサイズは外寸117ミリ×162ミリなのでキャビネサイズ(カビネサイズ)になる。
今回は撮影後の作業、主に暗室関係について書き残しておこうと思う。

父の肖像写真

【シートフィルムの現像】
撮影したシートフィルムは外光が全く入らず、照明も点けない完全な暗室で現像する。現像できるのはチーフの山口氏だけだったと記憶しているが、もう一人暗室を専門に担当していた大和氏もやっていたかも知れない。暗室作業は、服が薬品で汚れないように上から白衣を着て作業していた。

現像方法は皿現像で、現像液をステンレスのバットに入れ、その中に数枚のシートフィルムを入れ攪拌する。攪拌はシートフィルムは手でやっていたような記憶があるが、印画紙の場合は竹のピンセットを使っていた。竹のピンセットは先は保護のためにゴムでカバーしてある。

現像液の処理温度は20℃で、夏は氷で冷やし、冬はお湯かヒーターで調整をしていた。規定時間近くになると、フィルム用のセーフライトをその時だけ点灯し進行具合を確認して良ければ停止液に移動させる。セーフライトガラスはフィルム用の緑っぽいかなり暗いもので確認の時だけ一瞬点灯するが、ガラス全面ではなくカバーをして10センチ位開けた小さな四角窓の部分で行う。

停止液と定着液処理、そしてその後の処理は助手の仕事になる。全てが定着液に入り規定の時間が経過すると残留薬品を洗い流す必要があるので、廊下にある流しに移動して水洗処理をする。水洗方法はバットを二つ並べ、両方とも水道水を蛇口から流しっぱなしにしておいて、フィルムを片方へ全部移動すると元入っていたバットの水を捨て、そのバットに水がいっぱいになるとそちらへフィルムを移動する。その繰り返しを1時間続けて、フィルムに付着している薬品を洗い流す。

冬の寒い時期の水道水は手が切れるように冷たくて、大変辛い作業であった。水洗は助手が交代で行うが、あまりうれしい仕事ではないので、誰がやるのか微妙な雰囲気があったのを覚えている。水洗が終わると、フィルムをクリップで挟みぶら下げて自然乾燥させる。記憶は不確かだが、水洗後に乾燥ムラを防ぐための水滴防止剤ドライウェルという薬品を使っていたように思う。

【写真焼付け】
写真焼付けは、密着と引き伸ばしがある。その当時は両方ともやっていたが、スタジオ写真は全てシートフィルムで密着焼きだった。「べたで焼き付けする」のでべた焼き、またコンタクトプリントという言い方もあるが、それらはロールフィルムの場合に使う事が多く、シートフィルムをプリントする時は密着焼きと言っていた。

プリントするのは密着焼付機を使用していた。それは光源を下方に設置し上向きに照射する方式の写真焼付機である。下の密着焼付機の写真(ヤフオクとメルカリの出品写真を引用)は、高さ35センチ位なので小型だが、構造的には近い物を使用していた。当時使用していた焼付機は高さが80センチ位はあり、立って腰の高さ位の所に露光面があったと思う。プリントするガラス面は六切や特六つのネガを置いて少し余裕があるので、40センチ四方程度はあったと思う。

密着焼付機-01

『プリント方法』
1,左写真のガラス面にネガの乳剤面が上になるように置く
2、その上に乳剤面を下にした印画紙を重ねておく
3、右写真の状態のように押さえる部分を下に降ろす
4、下に押し下げ圧着しランプを点灯させ露光する

密着写真焼付機-02

ガラスの下にあるランプ部分、露光用のランプは白色で確認用のランプは橙色。ネガをセットする時は橙色のランプを点灯させる。プリント時はタイマーを経由してスイッチが入り、白色の電球が点灯する。露光時間はネガの濃度によって増減があるので、タイマーで調節する。当時使用していたものは、電球が横ではなく下に4~6個は並んでいたように記憶している

密着写真焼付機-03

透明なガラスの下にはすりガラスが入っていて、光を拡散させ均一になる様にしている。集合写真などで照明ムラがあったりする場合は、すりガラスの上にトレーシングペーパーを小さく切ったものを部分的に入れ覆い焼きをしていた。

露光が終わると現像処理を行うが、フィルムと同様に現像は山口氏か大和氏のみが担当していた。印画紙の場合は、定着終了後にネルソン金調色を施していた。調色前の水洗時間はあまり記憶にないが、調色後の水洗時間は1時間であったと思う。

ネルソン金調色は山口氏の担当で、温度調節ができる大きなステンレス容器に調色液が入っていてその中で行う。処理液の温度は風呂のお湯くらいの温度でかなり温かく、冬は湯気が立っていた記憶がある。その中で攪拌していると、写真の色が段々とセピア色に変化していくので、適当な所で切り上げていた。

ネルソン金調色の詳しい事は分からないが、印画紙で像を作っている銀粒子を金に置き換えると理解している。金は銀よりも耐久性が高いので、写真が変色するの防ぎ耐久性が増す。また写真がセピア色になるので、その効果で高級に感じる事もあったと思う。金調色液の処方を記録していたので記載しておく。記録通りに記載するが、補充液として使用するになっているので母液の処方が同じであったかは不明である。多分金が減っていくからだと思うが、母液に液を補充しながら使用していたと記憶している。

下の写真は片山写場で1972年に私の両親をキャビネのシートフィルムで撮影、密着プリントしネルソン金調色処理した写真である。印画紙プリントをスキャナーでデータ化したものだが、写真の色調は出来るだけ忠実に再現している。写真は50年以上経つが褪色や変色も無く、大変良い保存状態だと思う。

ネルソン金調色
ネルソン金調色した印画紙プリントをスキャナーで取り込み

《金調色液》
『A-1』を加温(50℃)して白濁させ、『A-2』の白濁液全量を攪拌しながら加え、さらに『B』を徐々に加える。冷えた後に補充液として使用する。

『A-1』
温湯10,000cc
チオ硫酸ナトリウム2,400g
過硫酸アンモン300g
『A-2』
温湯160cc
AgNO3(硝酸銀)13g
99%CH3COOH(酢酸)300g
塩化ナトリウム13g
『B』
2,500cc
塩化金7g

【写真薬品について】
その当時の写真の処理液を記録していたものが手元にあったので残しておく事にした。当時は水で溶かすだけの粉末の薬品もあったが、写場では独自に薬品を調合して作っていた。調合する時は薬品を上皿天秤で指定の量を測り、温湯や水で溶解して作っていた。

処方がフィルム用か印画紙用かは記載が無いので不明だが、真珠処方と軟調液処方は印画紙ではないかと思う。またD-82強力現像液はフィルム用で、通常使用していたものではなく強力とあるので特別な処方だと思う。
当時のフィルム現像液はD-76が標準だったと思うが、使用薬品は記憶も記録もないので不明である。ロールフィルムの現像は、業務用の深タンクで吊り下げて現像していた記憶はあるが、片山写場と後の奥村写真館との記憶が重なり不明確なので省略した。個人的にはフィルムをリールに巻いて、ステンレスやプラスチック製の現像タンクで現像していたと思う。

【真珠処方】

第1液 
温湯(50℃)5,000cc
モノール15g
無水亜硫酸ソーダ240g
ハイドロキノン60g
ブロムカリ30g
第2液 
温湯(50℃)5,000cc
炭酸ソーダ 200g

【軟調液処方】

第1液 
温湯(50℃)1,000cc
モノール10g
無水亜硫酸ソーダ50g
ブロムカリ2g
第2液 
温湯(50℃)1,000cc
炭酸ソーダ50g

【D-82 強力現像液】
現像時間 4~5分
感光度の増加は2倍程度までで、カブリは0.3~0.4に達する。

1,000cc
メチル・アルコール48cc
メトール14g
無水亜硫酸ソーダ52.5g
ハイドロキノン14g
苛性ソーダ9g
臭化カリ9g

【定着液】

温湯(50℃)20,000cc
チオ硫酸ナトリウム5,000g
無水亜硫酸ソーダ300g
99%CH3COOH(酢酸)300g
粉末ミョウバン300g
ニワルク300g