PROFILE

藤山強のプロフィール

筑豊の炭鉱町に生まれ少年期は絵や工作が好きで、漠然と将来は絵描きのような芸術家になりたいと思っていた。中学から高校にかけては多くの本を読んでいたが、たまたま雑誌で読んだ加藤秀俊氏の文章に触発されて高校卒業後に陶芸の道に進んだ。弟子入りしたのは小石原焼ちがいわ窯で、後に人間国宝(重要無形文化財保持者)となる福島善三氏は当時小学生であった。しかし窯元での生活に慣れる事ができずに、1年で陶芸の道をあきらた。

その後小石原焼で同時期を過ごし、高校の先輩でもあった木乃丸院窯の陶芸家松山正博氏の元カメラマンであった奥様の紹介で、福岡市の写真家片山摂三氏に師事して写真の道に入った。
当時はやっとカラー写真が一般に普及し始めた頃だったので、仕事は白黒写真が中心だった。スタジオではポートレート撮影用の大型のアンソニーカメラを使用し、外での撮影は組立暗箱での撮影をしていた。また、ポートレートではシートネガフィルムの鉛筆修正をやっていたが、その技術は疋田晴久氏に学んだ。
現像薬品の調合や暗室作業、画像の保存性を高めるためのネルソン金調色作業など今ではほとんど無くなった作業が仕事の中心だった。全てが手作業だったので、冬期の写真水洗は約1時間も写真をバットからバットに入れ替える水仕事だったので辛かったのを覚えている。仕事では古いカメラばかりではなく、35mmカメラや6×6カメラ、4×5カメラなども使用していた。

「人間とはなにか? 世界写真展」で知ったユージン・スミスなどのドキュメンタリーの作品が好きで本もドキュメンタリーを読む事が多くなった。日本の写真家では森山大道が好きで気になる存在だったが、作品の傾向や仕事内容は東松照明が一番好きだった。
その後「ワークショップ写真学校夏季セミナー」に参加したり、名古屋で勤務しながら漠然と写真家を目指し手作りの写真集や写真展を開いたりした。その当時仕事の関係で岡本信也氏と知り合い、彼の主宰する野外活動研究会に入った。そしてフィールドワークで行った小椋谷の君ヶ畑に1年間通って写真集を発行する。

その後独立しフリーで活動した後、結婚してからは営業写真館を開業する。写真は仕事としての関わりのみとなり、写真家を目指した活動はしなくなる。仕事としての写真は、店舗兼スタジオでのポートレート、舞台写真、建築写真、スクールフォトなど多岐に渡った。その頃に友人の紹介で名古屋総合デザイン専門学校の非常勤講師をやることになった。

やがてデジタルカメラの普及などで店舗の維持が困難になり、店舗はやめて自宅を事務所にして仕事を継続した。主にスクールフォトと出張の撮影、そしてネットプリントが仕事となった。ネットプリントは知り合いの助けで自宅にサーバーを設置して、割と初期の頃から取り組んだ。そして2018年に廃業届を出して、仕事としての写真には終止符を打った。今後は長くお休みしていたライフワークとしての写真をやっていこうと思っている。

1949年福岡県遠賀郡水巻町に生まれる。
個性的な名脇役の俳優でんでんは小中学校の同級生。
1968年福岡県立東筑高等学校を卒業する。
小石原焼ちがいわ窯に弟子入りする。
1969年京都市洋酒喫茶ワインリバーで事務員として勤務する。
1970年福岡市の写真家片山摂三氏に師事して写真を始める。
1974年名古屋市の奥村写真館に勤務する。
1975年 「ワークショップ写真学校夏季セミナー」 に参加。
1976年私家版「北辺 藤山強写真集 1」を発行。
1978年私家版「晩夏 藤山強写真集 2」を発行。
野外活動研究会の会員になる。
1979年写真集「小椋谷の人びと」を野外活動研究会から出版。
1981年藤山強写真展「都市荒野 PART 1」を開く。
1984年名古屋市西区でデルタスタジオを開業する。
1987年名古屋総合デザイン専門学校の非常勤講師になる。
2003年屋号をデルタフォトとしてネットプリントを開始する。
2018年デルタフォトを廃業して仕事からリタイアする。
2019年「小椋谷の人びと」から40年後の君ヶ畑を取材開始。
趣味映画・釣り・ギター