佐和山城址

佐和山城の模型と佐和山

11月26日に平和堂のまちあるきツアー「じもとりっぷ」じもとガイドさんと登ろう!『佐和山』~戦国を歩く旅 光成が見た景色を辿る~に参加した。
今回の行程は、JR彦根駅→石田三成屋敷跡→佐和山城跡→そば処百百百百(昼食)→専宗寺→鳥居本合羽→有川薬局→近江鉄道鳥居本駅→近江鉄道彦根駅の歩行距離約6Km、9時30分にJR彦根駅に集合して近江鉄道彦根駅で15時30分頃に解散した。佐和山城跡と旧中山道の宿場である鳥居本宿に行ったが、今回は佐和山城址関係の写真のみで鳥居本宿は別に掲載する。

JR彦根駅の井伊直政像の所で集合、石田三成屋敷跡などを通り佐和山城跡へと向かう。登り口は井伊家とゆかりの深い龍潭寺の裏山にあり、参道には石田三成の座像と「佐和山観音」と呼ばれる観音像、そして石田三成群霊供養と刻まれた石碑が建っている。標高233mの佐和山頂上にある本丸跡までは標高差は約150mあり、切通し、西の丸跡などを通るが、途中かなり急な所もある。
佐和山城は鎌倉時代からあり石田三成が居城としたことで知られる。石田三成が関ヶ原の戦いで敗れ、その後領主となった井伊家が彦根城を築城したので廃城となった。その際に石垣や建物の多くが彦根城へと運ばれたので、そこに城があったと分かる痕跡は石垣の一部や土塁、堀、曲輪、千貫井戸跡や西ノ丸にある塩硝櫓跡などが地形として残っているのみである。ガイドさんが説明してくれたので少しは分かったが、ガイド無しでは石垣以外では表示のある千貫井戸跡や塩硝櫓跡くらいしか分からないと思われる。

今回は説明を聞きながら撮影をしていたので、案内の標識などが無い所は撮影した写真がどの部分だったのかよく分からないカットが多かった。説明が無いとただの小山だったり、獣道のような少し窪んだ部分と言った所がほとんどだった。佐和山は清凉寺が所有する山で、団体で登山する場合は入山許可が必要となっている。ハイキングコースにはなっているが、案内の標識などは一部朽ちていたりするなど、整備されずに放置されている印象だ。

本丸跡のある頂上からは、南西方面に彦根城そして遠くには比叡山を望み、東から北東には中山道があり遠くには伊吹山、北には長浜、北西には竹生島も見る事ができた。頂上からは四方をよく見渡せ、軍事的な要衝であった事がよく分かる。本丸跡から隅石垣、千貫井などを経由して、国道8号線の佐和山遊園跡の所に降りてきた。そこからは佐和山歩道トンネルを通り、城の正面である大手のあった所から内堀跡や土塁、そして登城道などを見てから鳥居本へ行った。

小椋谷 君ヶ畑の秋

君ヶ畑の紅葉

11月19日に小椋谷の君ヶ畑に行ってきた。小春日和の暖かな日で、豊かな自然に囲まれた静かな集落のあちらこちらできれいな紅葉を見ることができた。住宅や破風などを記録しながら、集落内を散策して秋の美しい風景も撮影した。