君ヶ畑 お盆の定点撮影

君ヶ畑の定点撮影

君ヶ畑は高齢化が進んでいて年を追うごとに居住者が減少し、亡くなってしまう方もいる。43年前の1978年(昭和53年)のお盆に16軒で家族写真を撮影させてもらった。そのうち12軒を写真集に掲載させてもらった。今回調べた所、撮影した16軒のうち11軒の家が撮影できるかもしれないと分かった。ただし常時居住している家は3軒のみで、それ以外は行事等で時々帰ってくる家になるが、1軒はすでに昨年の春のお彼岸にお願いして撮影させてもらっている。

今年は新型コロナウイルスの影響で帰省しない家が多かったようで、お盆に撮影できたのは合計で4軒のみだった。13日に撮影をお願いに行った1軒のお家は最近お母様が施設から戻られていたが、容態が悪くてベットで寝ておられた。三人の娘さん達が交代で介護されているとの事で今は撮影は難しい状態だった。その後15日に行った時にはお母様はすでにお亡くなりになり、その日がお通夜であった。

定点撮影の難しさは以前にも書いたが、少しの撮影位置や角度、レンズの焦点距離やレンズ自体の違いなどでずれてしまう。撮影する時に前回の写真を見ながら注意深く撮影しても、特に人物の場合は本当に難しい。後で2枚を並べてみると、人物の位置やカメラの角度や高さなど微妙に違っている。建物や道なども以前とは微妙に変わっているので、慎重に撮影したつもりでも結構違っていて自分の観察力不足にはガッカリしてしまう。

今年の写真は43年前には写っていない人もいるが、出来るだけ同じ場所で前回写っている人に入ってもらって撮影した。43年前に写っている人がどう変わったかは、いずれ解説する機会があるかも知れないが位置もある程度合わせれば良かったと少し反省している。

お盆の家族写真-1
お盆の家族写真-1
お盆の家族写真-2
お盆の家族写真-2
お盆の家族写真-3
お盆の家族写真-3
お盆の家族写真-4
お盆の家族写真-4
お盆の棚経の様子-1
お盆の棚経の様子-1
お盆の棚経の様子-2
お盆の棚経の様子-2

君ヶ畑のお盆「棚経と施餓鬼」

君ヶ畑の施餓鬼

新型コロナウイルス感染症で滋賀県には緊急事態宣言が出ていて訪ねるのを悩んだが、他府県からでは無い事や私を含めて高齢者はワクチンの接種が進んでいる事もあり、8月13日と15日に東近江市君ヶ畑町にお盆の様子を撮影に出かけた。

君ヶ畑では15日午前中に金龍寺の住職が各家に行き棚経をあげてまわる。前住職は亡くなるまで金龍寺に住んでいたが、現在は少し離れた東近江市川合町にある願成寺の住職が兼務している。前住職の頃は14日の午前中に棚経が終わり、午後から各家はお寺に祝儀(盆礼)を持って行っていたが、今は各家で渡すようになったのでお寺には行かなくなった。住職は君ヶ畑を離れた檀家にも別の日に棚経をあげに行く。
棚経は盆棚の前でお経をあげてもらう事からきているが、近年は盆棚をきちんとやっている家は少なくなった。お盆の行事は習俗なので盆棚も地方や宗派によって違いがあるようだが、君ヶ畑では盆棚の習慣を守って飾り付けをしている家が2軒あったが、1軒はすでに空き家になっていて今は小椋㐂久雄さんの家だけが盆棚の習慣を守っている。盆棚はお盆に先祖の霊に供物を備える棚のことで、地域によっては精霊棚や先祖棚と呼ばれ仏教の曹洞宗、臨済宗、浄土宗、真言宗などで行われる。私の家は浄土真宗なので、これまで棚経や盆棚の文化が無く棚経と言われても初めは良く分からなかった。

住職がお寺に戻ると午後から本堂で施餓鬼(山門大施餓鬼会)が行われる。その後オショウライ送りで御池川にお供え物などを流しに行くのだが、今年のお盆は降り続いた雨の影響で増水して濁流になっているので河原の近くには行く事ができなかった。
 ※ 参考文献「君ケ畑の民俗-木地屋のふるさと 菅沼晃次郎 著」

盆棚と小椋さん
昔ながらの盆棚と小椋㐂久雄さん
棚経
棚経の様子
棚経の様子
棚経の様子
施餓鬼の飾り
施餓鬼の飾り
施餓鬼の読経
施餓鬼の読経
施餓鬼の様子
施餓鬼の様子
施餓鬼の様子
施餓鬼の様子