破風に「水」の文字

茅葺きの破風-003

茅葺きにトタンを被せた家を記録していると、破風に水という文字の書いてある家が多い。彦根市では茅葺き以外の民家でも時々見かけるが、以前住んでいた名古屋市近辺では見なかったので気になっていた。調べてみると関西方面にはよくあるようで、滋賀県は特に多いようだ。

小椋谷の君ヶ畑の写真を調べてみると、破風に家紋の場合もあるが多くの家に水の文字があった。これまで気が付いてはいたけれど、何となく屋号のようなものかなと漠然と思っていた。調べてみると瓦に水の文字があるのと同じ様に、火災から建物を守る火伏せのまじないとして入れているようだ。その由来は庶民には許されなかった懸魚(げぎょ)の代わりに水と言う文字を描くことで火伏せのまじないとしたようで、江戸時代末期に始まり明治の頃に定着したらしい。

懸魚とは神社やお寺などの破風板部分に彫刻を施し取り付けられた妻飾りの事で、もともと中国で水と関わりの深い魚を屋根に懸けることによって、火に弱い木造の建物を火災から守るために火伏せのまじないとして取り付けた事による。中国では垂魚とも呼ばれ雲南省には魚の形をした板を屋根に懸ける風習が残っているらしいが、日本では様々な意匠をこらした装飾的なものとなっている。懸魚はもともと寺社や城の建築のみに使われていたが、江戸時代には武家屋敷や庄屋クラスの民家にも付けられることが許されるようになり、明治以降は一部民家の建築でも使われるようになった。機能的には屋根の両端の瓦のない部分や、棟木や桁の端などを隠して雨風から守る意味もある。

彦根市の社寺にある懸魚
彦根市の民家に破風にある「水」の文字

これまで撮影した茅葺きの破風には色々なタイプがある。トタンを被せた屋根では水の文字や家紋、懸魚もあった。茅葺きが残っている家では、文字などは無く前垂れと呼ばれる葭などを竹で押さえた棟端飾りが残っている。これまで記録した12戸のうち水の文字があるのは6戸だった。また懸魚は4戸に付いていて、1戸は懸魚、家紋、水の文字と三つ揃っている。

彦根市の茅葺きとトタンを被せた屋根

彦根市の茅葺き-003

茅葺きは萱葺きとも書き、一般的にはススキやチガヤなどを材料にして屋根を葺いた家屋の事を言う。身近な草で屋根を葺いたものを総称では草葺きと言う事になると思うが、藁葺きを総称のように使う場合もある。ススキやチガヤなどを使う場合は茅葺き、稲ワラや麦ワラなどを使う場合は藁葺きと用いる材料によって呼び方を区別する場合もある。私自身は子供の頃は藁葺きと言っていたように思う。茅葺きと言えば世界文化遺産の白川郷の合掌造りは有名だが、以前は少し田舎に行けばよく見かけたけれど最近は少なくなってきた。建物が残っている場合でも、古くなった茅葺き屋根にトタンなどの金属を被せた屋根が多くなっている。トタンは建築資材として使われている亜鉛めっき鋼板の事だが、被せている金属の種類は正確には分からないので、ここでは一般的なトタンと記載することにする。
現在取材している小椋谷の君ヶ畑では、1979年10月には民家55戸のうち入母屋茅葺きは15戸、入母屋茅葺きにトタンを被せた屋根は17戸(1980年1月発行 野外活動研究会「フィールドへ No.6 君ヶ畑」より)だったが、現在は茅葺き屋根の家は無くなりトタンを被せた屋根のみになってしまった。
現在私は彦根市に住んでいるが、自宅の近辺でも茅葺きにトタンを被せた屋根を見かける事がある。それはやがて無くなっていくと思うので記録しようと思い撮影を始めた。茅葺き屋根にトタンを被せた屋根について調べると、一般社団法人日本金属屋根協会のホームページに「茅葺き屋根の缶詰は タイムカプセル?(ルーフネット 森田喜晴)」という記事があり、 「茅葺きファンから見れば茅葺き屋根が金属葺きに変わるのは嬉しいことではありません。それを「缶詰(カンヅメ)」と呼び評価しません。一方で「缶詰屋根は茅葺きという文化を伝えて行く上でとても大切」という茅葺き職人がいます。」と書かれていて、金属の板で被せた屋根を缶詰屋根と呼んで、それについての興味深い考察が掲載されている。
撮影を始めると、近くにまだ茅葺きの家もあった。今後は彦根市の茅葺きと茅葺きをトタンなどの金属で被せた缶詰屋根を観察、記録していこうと思っている。