「連続テレビ小説 スカーレット」に登場するヒロイン川原喜美子(戸田恵梨香)の息子、武志(伊藤健太郎)のアパートの部屋にあるガラスのテーブル、どこかで見た記憶があった。なぜか懐かしいと思っていた所、古い写真を整理していたらそれとほぼ同じデザインのテーブルが写っていた。
それは1984年1月私の部屋にあったテーブルとほとんど同じ物だったのだ。テレビドラマはすでに終盤に差し掛かっているが、1984年(昭和59年)武志は23歳で前年に白血病が発覚し次世代展に落選した年になる。その年35歳の私は名古屋で勤務先の写真館を退職し独立したが、今池の住居兼事務所である自分の部屋を記録した写真の中にそれは写っていた。部屋の片隅にあるテレビを載せているスチール製の脚にガラスの天板のテーブルがそれである。いつ頃から持っていたのか記憶は定かではなくて、いつの日か処分して今は手元にはない。
当時はよく見かけたテーブルだが、現在は同じデザインの物は見かけないような気がする。ドラマでは美術スタッフが時代考証をしてセットを作っているので、その当時使用されていたテーブルを探してきたと思うが、偶然同じ様なデザインのテーブルを使っていたのは思わぬ発見だった。
木乃丸院窯を訪ねて
2月2日に福岡県嘉麻市椎木にある木乃丸院窯を訪ねたが、冬とは思えぬ穏やかな日だった。木乃丸院窯を主宰するのは松山正博さんである。
私は松山さんと同じ福岡県立東筑高校卒業で2年後輩になる。初めて出会ったのは福岡県の小石原焼の窯元が集まった小石原村(現在は東峰村)の皿山と言う人里離れた山あいの地区で隣同士の窯元に偶然弟子入りした時だった。現在NHKで放送されている「スカーレット」は滋賀県の信楽焼が舞台だが、主人公の喜美子が穴窯を始める前年の1968年に私は2年遅れで弟子入りした。松山さんが弟子入りしたのは喜美子が本格的に陶器作りを始めたのと同じ頃になる。古くからあった小石原焼は民陶として名が知られるようになり、当時は6名位の地元以外の若者が陶芸を目指してそれぞれ別の窯元に住み込みで弟子入りしていたが、時々皆で集まっては飲みながら人生論や芸術論を交わしたりなどしていた。当時窯元にいた我々の様子を取材に訪れたカメラマンが現在松山さんの奥様の昌子さんだった。しかし私は1年間で小石原を離れ、後に福岡市でカメラマンをしていた昌子さんの紹介で写真を始めた。
松山さんは1971年に独立して小石原村鼓で木乃丸院窯を始めた。その後1976年に福岡県嘉穂郡庄内町(現在は飯塚市)に場所を変え各地で個展を開くなど活動を続けていたが、諸事情で2013年に現在の福岡県嘉麻市椎木に移転している。
松山さんの仕事は美しい生活の道具「身辺陶器」として、小石原焼とは違い藍色の呉須、美しい赤色の辰砂、青緑色の青磁などの釉薬を使い独自の造形で美しい色合いの器を作っている。また身辺陶器以外にも魅力的な自分の作品も多く作っている。木乃丸院窯のホームページはこちら。
ついこの間行ったと思っていたが、訪ねたのは実に5年ぶりだった。実家のある福岡は私達夫婦の両親が健在な間は正月やお盆の帰省や病気見舞などでよく帰ったので折に触れ訪ねていたが、全員が旅立ってからは法事に帰る位で行く機会が段々と少なくなった。この日も法事の後で、実家から遠くなった事もあって残念ながら僅か2時間ほどの滞在だった。
[カメラ:EOS 5D Mark III]
[レンズ:CANON EF24-105mm F4L]