在りし日の首里城

雨の首里城正殿

首里城が10月31日未明に発生した火災で、残念な事に主要な建物である正殿と北殿、南殿などが全焼してしまった。
今年の6月26日に首里城に行った。その日はあいにくの雨で、風も強くて写真はほとんど撮影できなかったが、 少しだけ撮った写真を掲載しておこうと思う。内部の観覧は、おおまかに南殿から書院・鎖之間(さすのま)、奥書院、正殿、北殿の順だった。往時の賓客を接待したと言う書院・鎖之間で琉球のお茶菓子を頂いたが、そこも全焼してしまった。
やっと再建が終わったばかりだったのに、沖縄の人たちの喪失感は相当なものだと思われる。かなりの困難があると思うが、必ず修復再建できると信じて応援していきたい。

雨の首里城正殿
雨の首里城正殿。
国王が座る玉座。
国王が座る玉座。正殿内の御差床(うさすか)。
鎖之間(さすのま)と庭園
書院と庭園。
さんぴん茶と琉球のお茶菓子
書院・鎖之間(さすのま)で頂いたさんぴん茶と琉球のお茶菓子(花ぼうる、くんぺん、ちいるんこう)。

春の京都

河井寛次郎記念館の看板猫

2019年4月5日に妻と二人で京都に行ってきた。地下鉄の東山駅からJR京都駅までを歩いて色々な所を散策した。
行った主な所は青蓮院門跡、知恩院、円山公園、八坂神社、先斗町で昼食、清水寺、河井寛次郎記念館。桜の頃だったので、どこもたくさんの人だった。50年位前に京都で1年間ほど暮らした事があり京都なので変わらないものも多いけれど、さすがに半世紀にもなると街中は多く様変わりしている。当時住んでいた四条木屋町を上がった所などはほとんど変わっていて、以前住んでいた場所もよく分からなかった。
観光客がとても多く四条河原町から八坂神社の所までの歩道は人通りでいっぱいだった。なかでも外国人の観光客が大変多くて、最後に行った河井寛次郎記念館は日本人は私達だけでその他7、8名いた来館者は全て外国人だった。
河井寛次郎は島根県安来市生まれの陶芸家で、柳宗悦、濱田庄司らと民芸運動の中心的な働きをした。私は若い頃に陶芸家を目指した時期があったが、河井寛次郎の作品がとても好きだった。1966年に亡くなったが、当時高校3年生だった時に偶然の巡り合わせで島根県立博物館で開かれた「河井寛次郎生涯展」を見る機会があったのを覚えている。河井寛次郎記念館は建物や館内の家具や調度類も本人のデザインや蒐集したもので、自宅兼仕事場だったものを公開しているが、彼の陶芸作品などはそれ程多くは展示していない。

[カメラ:Canon EOS M3] [レンズ:CANON EF-M 15-45mm]