2020年2月 雪の君ヶ畑

雪の大皇器地祖神社

前日に雪が降ったので雪景色を撮影しようと、2月19日に小椋谷の君ヶ畑に出掛けた。41年前の3月6日に行った時にはかなりの積雪があったので、雪かきなどの風景を撮影している。
今年は例年になく暖冬で雪の降る日が少ない。3年前にはかなり大雪の時があったらしいが、最近は雪の少ない年が多くなっている。2月18日にやっとまとまった雪が降り平地でも積雪となったが、午後からは雨になりその日のうちにほとんどの雪は溶けてしまった。しかし君ヶ畑は標高が430m位の所なので、少しは雪が残っているだろうと思い出かける事にした。途中の道に雪はなくて心配になってきたが、永源寺ダムの所位から少しずつ道の脇に雪が見えてきた。蛭谷の集落まで来ると少し雪は多くなったが、お天気が良くなり日も差し気温も上がってきたので雪は少なかった。しばらく山道を登り君ヶ畑に着くと里の方と違いかなり雪が残っていたので安心した。しかし積雪は20cm無い位でそれほど多くなく、日差しもあり屋根からは雪解けの滴が盛んに落ちていた。
集落を歩いたが人の姿は無かった。大皇器地祖神社の所で二人の登山者と出会い、その後今年の3月から地域おこし協力隊で君ヶ畑に来られる方と出会って少しお話をした。帰る少し前に41年前に行っていた頃に大変お世話になった瀬戸さんと偶然出会った。普段は君ヶ畑に住んでいなくて、この日は軽トラックを取りに来たとの事だった。
41年前に行った時は、子供たちが外で遊んでいたり、あちこちで雪かきや家事などをする人もいて外で多くの人を見かけた。この日は帰るまで君ヶ畑の人には合計4名出会っただけだった。住人のいる家の前や神社への参道は奇麗に雪かきがされていたが、住む人のいない家や通る人のいない細い道は雪かきはされずにそのままだった。墓地では雪の中一人の足跡がお墓の前まで続き、墓前にはきれいなお花が供えられていた。そして人家の方から川べりの道へ何の動物かは分からないが、一本の足跡が点々と続いていた。

[カメラ:EOS 5D Mark II・EOS 5D Mark III]
[レンズ:CANON EF17-40mm F4L・CANON EF24-105mm F4L]

君ヶ畑の41年前と現在
君ヶ畑の41年前と現在
君ヶ畑の41年前と現在

木乃丸院窯を訪ねて

木乃丸院窯の花器

2月2日に福岡県嘉麻市椎木にある木乃丸院窯を訪ねたが、冬とは思えぬ穏やかな日だった。木乃丸院窯を主宰するのは松山正博さんである。
私は松山さんと同じ福岡県立東筑高校卒業で2年後輩になる。初めて出会ったのは福岡県の小石原焼の窯元が集まった小石原村(現在は東峰村)の皿山と言う人里離れた山あいの地区で隣同士の窯元に偶然弟子入りした時だった。現在NHKで放送されている「スカーレット」は滋賀県の信楽焼が舞台だが、主人公の喜美子が穴窯を始める前年の1968年に私は2年遅れで弟子入りした。松山さんが弟子入りしたのは喜美子が本格的に陶器作りを始めたのと同じ頃になる。古くからあった小石原焼は民陶として名が知られるようになり、当時は6名位の地元以外の若者が陶芸を目指してそれぞれ別の窯元に住み込みで弟子入りしていたが、時々皆で集まっては飲みながら人生論や芸術論を交わしたりなどしていた。当時窯元にいた我々の様子を取材に訪れたカメラマンが現在松山さんの奥様の昌子さんだった。しかし私は1年間で小石原を離れ、後に福岡市でカメラマンをしていた昌子さんの紹介で写真を始めた。
松山さんは1971年に独立して小石原村鼓で木乃丸院窯を始めた。その後1976年に福岡県嘉穂郡庄内町(現在は飯塚市)に場所を変え各地で個展を開くなど活動を続けていたが、諸事情で2013年に現在の福岡県嘉麻市椎木に移転している。
松山さんの仕事は美しい生活の道具「身辺陶器」として、小石原焼とは違い藍色の呉須、美しい赤色の辰砂、青緑色の青磁などの釉薬を使い独自の造形で美しい色合いの器を作っている。また身辺陶器以外にも魅力的な自分の作品も多く作っている。木乃丸院窯のホームページはこちら。
ついこの間行ったと思っていたが、訪ねたのは実に5年ぶりだった。実家のある福岡は私達夫婦の両親が健在な間は正月やお盆の帰省や病気見舞などでよく帰ったので折に触れ訪ねていたが、全員が旅立ってからは法事に帰る位で行く機会が段々と少なくなった。この日も法事の後で、実家から遠くなった事もあって残念ながら僅か2時間ほどの滞在だった。

[カメラ:EOS 5D Mark III]
[レンズ:CANON EF24-105mm F4L]