君ヶ畑 2020年11月19日

木工品の轆轤作業

君ヶ畑で1978年から1979年にかけて撮影した写真と2020年との比較。
小椋昭二さんの家は、41年前は君ヶ畑製材をやっていた。その当時製材所や山で木を切り出している所などの作業風景を撮影させてもらった。やがて林業が不振になり製材所を廃業した後に、お兄さんが先に一時木地師をやっていた。その後小椋昭二さんも愛知県の木地師の人に教えを受けた後、ほとんど独学で木地師の仕事を習得した。その後お兄さんは木地師をやめたが、昭二さんは君ヶ畑に君杢工房を設け椀や盆などの木工製品を制作している。

1979年の小椋昭二さん
1979年 小椋昭二さん
1979年 右が昭二さん
1979年 中央が昭二さん
木材の切出し作業
1979年 右が昭二さん
2020年 君杢工房の内部
小椋昭二さん
2020年 作業場にて
轆轤を使い作業
2020年 轆轤作業する小椋昭二さん
2020年 作品の展示室

瀬戸寿一さんの誕生日は上皇様と同じ1933年(昭和8年)12月23日で今年は米寿になる。週末には娘さんが来てくれるが、普段は一人暮らしをしている。瀬戸さんの家では1978年取材した時にクドを使っている奥様の様子を撮影している。今回同じ場所で撮影をさせてもらった。以前土間だったが所は木の床に改装してあり、タイルだった流しがステンレスに変わっている。変わっていないのは、神棚と遺影写真、隅にあった精米機、流しのタイルも一部は残っている。そして入口に近い隣の土間の隅には、味噌などを作る時に使っていたオオガマサンがまだ残っている。

1979年 瀬戸寿一さん
2020年 精米機
2020年 瀬戸寿一さん
2020年 オオガマサン

中山道 鳥居本宿

鳥居本宿-赤玉神教丸

佐和山城跡から下りてきて8号線から脇街道である彦根道(朝鮮人街道)を少しだけ通り、ほどなく鳥居本宿に着いた。朝鮮人街道、北国街道の分岐点でもある鳥居本宿は、江戸から数えて中山道の63番目の宿場になる。当時の雰囲気が残る建物も幾つか残っていて案内板などもあるが、特に観光地として賑わっている訳でもなく人通りはほとんど無い。

 鳥居本宿は中山道時代から赤い丸薬の神教丸、柿の渋で和紙を防水して作った赤い雨合羽と赤いスイカの三赤といわれる名産品があり、地元の中学生が考案したキャラクターは赤玉レッド、合羽レッド、すいかレッドの「さんあかレンジャー」。合羽とスイカは現在無くなったが、万治元年(1658年)創業有川製薬の胃腸薬「赤玉神教丸」は今も残っていて、中山道沿いにある有川薬局で販売している。
鳥居本宿の本陣跡にはウィリアム・メレル・ヴォーリズの手懸けた建物がある。ヴォーリズは建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人であり、近江兄弟社はメンソレータムを広く日本に普及させた。近江兄弟社は後に経営難になりメンソレータムの販売権を失い、自社のオリジナル製品メンタームを販売している。

その他見学したのは以下の所。
・中山道道標 「右彦根道、左中山道京いせ」と刻まれている。文政10年(1827年)に建てられた。
・専宗寺 太鼓門の天井に佐和山城の門の扉が使われていたが、今年太鼓門は撤去され扉は山門の所に立てかけてあった。
・自然斎の住居跡(旧鳥集会所) 元は旅籠「米屋」で湖東焼の絵付師として知られた人物。
・本陣跡 本陣で使われた門扉が倉庫の扉として残っている。
・合羽屋 看板が残っている。
・上品寺 「法界坊の鐘」をつるした鐘楼がある。
・近江鉄道鳥居本駅 昭和6年(1931年)開業、駅舎は開業時からのもの。