木地師文化フォーラム-2024

木地師の轆轤

7月15日に東近江市蛭谷町の「木地師やまの子の家」で、木地師文化フォーラム2024があったので参加してきた。東近江市は木地師発祥の地とされている事から、木地師の文化や歴史について情報を発信している。
1階フロアではろくろなど木地師の工具や木地製品、蛭谷町に保存されていた写真や木地師のふるさとの関連するパネルなどが展示されていた。

午後1時から3階の階段教室で立命館大学食マネジメント学部の木村裕樹准教授による「ろくろ技術の拡大と近代産業の発展」と題した講話があった。

江戸時代まで木地師は主に椀や盆などの日用品の生産していて、全国に良材を求めて移動したりしていた。明治政府の諸改革によりそれまであった色々な特権が無くなり、また自由な行動も制限される事となった。使われる木地師の道具も手引きろくろから足踏みろくろへ、動力も人力から水力や電力へと変遷、西洋からもたらされた旋盤も普及していった。

ろくろ技術の拡大とともに近代産業の発展に貢献した木地師の活動について色々と紹介していた。特に織物業には貢献していて、紡績機に使用する紡績木管など種々の木製機械部品の製作には木地屋が多く従事していたとの事だった。また万年筆の軸や建築部品、家具などの洋風の生活様式と結びついた多くの製品も製作するようになっていった。

木地師の氏子狩り制度が無くなった後に、君ヶ畑の大皇器地祖神社では「小野宮御偉績振興会」を作り、蛭谷の筒井神社は「祖神講」を開始するなど近代の動きについても解説されていた。

木地師フォーラム
木地師フォーラム
木地師フォーラム

木地師文化フォーラム-2022

滋賀県東近江市は木地師のふるさとして全国に発信する事業を行っていて、2022年7月18日に愛東コミュニティセンターで「木地師文化フォーラム」が開かれた。フォーラムは今回が4回目で3年ぶりの開催となる。また9月18日に東京上野で市主催の「木地師シンポジウム」が開かれる。
市公式Facebook「木地師のふるさと 東近江市」の告知で「このフォーラムは、ろくろを用いて椀や盆などの木地を作る職人である木地師が育んだ木の温もりの文化、漆工芸の文化への理解をより一層深め、全国各地とのネットワークを深めることを目指しています。」とあり、取材している木地師のふるさと君ヶ畑との関係もあるので参加してみた。

【プログラム】
第一部 講話
「木地師文化を育んだ東近江の森林」
森林総合研究所 山下 直子
アジア猛禽類ネットワーク 山﨑 亨

お二人で重複する部分もあったが「木地師文化を育んだ東近江の森林」をテーマに、山下さんは主に森林について、山﨑さんは植物と動物について、それぞれの視点から東近江の木地師発祥の地である鈴鹿山系にある小椋谷やその周辺についての講話だった。
木地師のふるさとである鈴鹿の森は東日本と西日本、日本海側気候と太平洋側気候が接する地域にあり、東近江市は鈴鹿の山々から琵琶湖まで続く豊かな自然がある。鈴鹿の奥山の冷温帯域に出現する落葉広葉樹林や、多種多様な植物や野生動物などが木地師の営みを支えた事など短い時間ではあったが資料を使い分かりやすく解説されてた。

第二部 講演
「漆に魅せられて」
漆作家/木地師 スザーン・ロス

石川県輪島市で漆作家・木地師として活動するスザーン・ロスさんは、イギリスのロンドン出身で若い頃に漆に魅せられて、漆の技術を身につけようと来日した。その後輪島で漆の勉強をして、現在は作家として活動しながら漆の魅力を海外などにも発信している。
講演では漆に魅せられて来日した後の技術を習得するまでの苦労話、輪島では川沿いの古い民家を自分たちで修繕したり改造して住んでいる事、その家での自然に囲まれた生活ぶりなどを聞くことが出来た。
そして縄文時代から続く漆の歴史や、漆の生産から輪島塗の制作工程などについても詳しく説明されていた。また国内での漆の生産が現在危機的な状況にある事や、漆や漆製品について今後の提案などもあり、熱くて中身の濃い内容の講演だった。

第三部 対談
漆作家/木地師 スザーン・ロス
木地師 北野 宏和
コーディネーター 筒井 正(東近江市参与)

「木地師文化と漆工芸の現在と展望」というテーマでスザーン・ロスさんと蛭谷で木地師の仕事をしている北野さんの対談があった。コーディネーターは小椋谷の永源寺町茨川出身で東近江市参与の筒井さん。
木地師や漆の仕事は、プラスチック製品が大量に出回る現在は継続が難しい職種であり今後については多くの困難がある。スザーン・ロスさんは漆製品や木製品を使うと生活の質が豊かになる事を説明し、漆が絶えないように応援するには「皆さん漆製品を買って使って下さい!」と会場に人達に呼びかけていた。
北野さんは木地師の仕事を若い人たちが始めたり、生活を続けられるような環境作りをしていきたいと抱負を語っていた。