亀山市関町を歩く まちの観察会

関宿

2024年5月19日に東海道五十三次の江戸から数えて47番目の宿場町で、参勤交代や伊勢参りでにぎわっていた関宿(亀山市関町)を野外活動研究会の仲間と歩いてきた。
午前10時20分にJR関西線関駅に集合し、小雨の降る天気ではあったが関宿の周辺を歩いた。関宿は東西の追分間およそ1.8キロメートル範囲で、古い町家が多く残されている。通りは軒下配線方式により無電柱化されいるので、電柱や電線が無く景観がとても良く整備されている。

関宿の町並み

町家でまず目についたのが漆喰装飾だった。漆喰壁や下屋根(軒庇)の端部分の左右に細工されているものを幾つか見かけた。装飾されているものは動物が多く、虎、龍、縁起の良い鶴や亀、鯉の滝登りなどがあった。

下屋根の両端に漆喰装飾
丸印の部分に漆喰装飾がある
漆喰彫刻-01
虎と龍
漆喰彫刻-02
左は不明、右は鯉の滝登り
漆喰彫刻-03
龍と波に千鳥
漆喰彫刻-04
亀と鶴
漆喰彫刻-05
亀と鶴(カモメのように見える)
漆喰彫刻-06
八重椿だろうか

滋賀県の湖東方面で多く見かける地棟飾りがないかと周辺を探してみた。古い家の妻壁にそれらしきものはほとんど見つける事ができず、はっきりと地棟飾りと言えるものは次の写真の一つだけだったように思われる。それ以外に地棟かも知れない妻壁の装飾を幾つか見つけたので、参考のために掲載しておこうと思う。

地棟飾りだと思われる

彦根で多く見かける玄関付近など屋外にある陶器製置物の狸を探してみた。狸以外にカエルや犬その他の動物などもあったので、陶器製やそれらしき置物を記録した。

その他歩いて色々と気になったものを記録した。ある家の玄関の上には、12月12日と書いたものが逆さまに貼ってあった。調べると12月12日は石川五右衛門の命日とされ、玄関先に12月12日と書いた札を逆さまに貼ると泥棒よけになると言う風習が関西方面に多いとの事だった。三重県は関西弁を使うなど、関西圏にも含まれるのでそのような風習があるのではないかと思われる。

町並みを歩いていると、いばら餅を売っていた。説明には「小麦粉の生地のおもちをいばらの葉ではさんで、蒸してあります」と書いてある。私は福岡県北部で生まれ育ったが、子供の頃この葉を摘んできて母親が同じようなものを作っていたのをよく覚えている。福岡では「がめの葉」と呼んでいて、がめの葉餅またはがめの葉饅頭と呼ぶようだ。
彦根市では「がらたて」という名前で売っているが、長浜市のお店では同じ名前で北近江名物を謳っている。また米原市では「からたてばっぱ」と言う名前で売っている。

端午の節句に食べる風習があるかしわ餠は、柏の葉を二つ折りにして挟んだ蒸し餅で関東方面では柏の葉が使われるが、西日本ではサルトリイバラの葉で挟んだものをかしわ餅の代わりに食べてたようだ。

サルトリイバラは地方によって色々な呼び方がある。カタラ・カカラ・がらたて・まきしば・サルトリバラ・サンキライ・ガンタチイバラなどがあり呼び名は実に多く、蒸し餅(あるいは饅頭、団子)にはそれを冠した名前を付けている事が多い。

かからん団子(鹿児島)・かから団子(長崎)・がめの葉饅頭(福岡)・柏まんじゅう(熊本)・しば餅(高知)・かたらもち(広島)・まき餅(島根)・からたてばっぱ・がらたて(滋賀)・いばら餅(三重)などがあり、それをかしわ餅として売っている場合も多いようだ。

いばら餅

【参考にしたサイト】垰田宏『かしわ餅のまとめ』・・・かしわ餅についてについて大変詳しい考察と解説がなされている。サルトリイバラなどかしわの葉以外の植物についても記録されている。

地棟飾り

名古屋から彦根に引越してから4年になるが、木造住宅の妻壁に水という文字が書いてあったりする飾りのような物を多く見かける。それが地棟飾りと言うのを知ったのは最近の事である。
名古屋では見た記憶がなかったので、先日行った時に古い町並みが残る西区の四間道を歩いてみたがやはり見つける事はできなかった。帰ってからパソコンで岩倉街道沿いの西区中小田井周辺をストリートビューで調べてみると数軒あるのを確認できたが、水と言う文字は無かった。その辺りは以前歩いたことがあるけれど、自分が興味のある物しか記憶には残らないのだなと再認識した。

地棟とは棟木の下に棟と平行に架かる太い横架材で、地棟梁とも言う。木造住宅の伝統構法で使用される部材で、曲げ強度のある松の丸太が使用される。屋根の積雪荷重などを建物全体に分散させる効果もあるが、近年は良質の地松(国産の松)が少なく高価な事や、伝統構法で作る家も少なくなっているために新しい家で見る事はほとんどない。
地棟飾りや妻壁の意匠は大工さんや工務店によって特徴があるとの事で、同じ地域ではよく似たデザインのものをよく見かける。同業者はその部分のデザインをみると、どこが作ったか分かるらしい。

地棟の妻壁から出た木口部分の9割近くは保護の為にトタンでカバーし塗装している。中には木口が見える様に前面を透明な材料で覆っていたりする。それ以外は木口をそのままで塗装するか、木の板や漆喰などで保護している。
現在合計70件ほど調べたが、トタンで被せたものを主な形で分けると、八角形と駒形の二通りになり数はほぼ半々である。色は四分の三は茶で白との二色が多く、次に多いのは黒で青や緑が各1戸あった。八角形は四角の角を面取りしたものも含むが、丸太をカバーしているので縦横は同寸のようだ。駒形の半分は上部を屋根状にして家の形の様になっている。またカバーの半分には何らかの装飾が施してあり、火伏のまじないで水文字を入れているのは全体では四分の一あった。

また漆喰で作った地棟飾りを2戸見つけた。土蔵などにある円形の鏝絵(こてえ)は丑鼻(長野県の左官用語)と呼ばれているが、地棟飾りの一種のようである。ネットで調べると丑鼻は長野県に多くあり、富山、京都、山梨などにもあるようだ。

地棟は棟に平行して端は両側の妻壁に出ている事が多いが、全体の三分の一位は片側のみしか確認できなかった。また地棟端が壁から出ている位置は、地棟が棟木の真下にある場合は中央になるので自然な気がするが、四分の一位は中央から少し外れている。部屋の間取りなど関係するようだが、個別の理由はよく分からない。
そして地棟飾りはほとんど2階建の2階部分だけにあるが、1階にもある家が4戸あった。2階部分にあるものは地棟で1階部分の梁は地棟と呼ばないかも知れないが、木口をカバーしている物はここでは地棟飾りとしている。

妻部分にある飾りを全般的には妻飾りと言うが、日本建築の城郭や社寺などでは古くから妻飾りを色々と施している。以前茅葺の妻飾りについて調べると、水文字、懸魚、家紋や屋号などがあった。また最近建てられた洋風の住宅にも、文字などをデザインした鋳物製の妻飾りがある家を所々で見かける。
彦根以外でも湖東地方には地棟飾りが数多くあるようなので、今後も観察と収集を続けていこうと思っている。