「日炭高松炭鉱の記憶」デジタルアーカイブ

「日炭高松炭鉱の記憶」

ホームページ『日炭高松炭鉱の記憶』は2003年6月18日に開設し、2014年(平成26年)1月16日が最後の更新となっている。

このホームページは私の出身地である福岡県遠賀郡水巻町にあった日炭高松炭鉱や近辺の炭鉱、そして管理人の住む折尾町や堀川などについて丁寧に調べ写真などを多く掲載していた。私は2006年頃にそのサイトを知り、資料写真も多くあったので懐かしく見ていた。

「日炭高松炭鉱の記憶」サイト

1984年閉山後も水巻町古賀にあった鉱員用の炭住や社宅などをモノクロフィルムで撮影した写真があったので、それをデータ化し2008年頃にサイトを通じて連絡しホームページ用に提供した。その後は特に交流は無かったが、2015年頃にサイトのリンク切れが多く見られるようになった。

サイトの更新記録によると無料のホームページサービスを利用していて、2度ほどサービス元の変更があった。現在残っているサイトには2014年1月16日に全ページのリンク設定の変更を完了したとの記載がある。しかし、リンク切れが多くあるのでうまく出来ていなかったようだ。

「日炭高松炭鉱の記憶」サイト2

管理人さんと何とか連絡を取ろうとしたが、サイトにある連絡先メールでは届かず、掲示板も機能していない。折尾郷土史会に入っていたとの事なので、折尾郷土史会について調べたが連絡先がよく分からなかったので諦めていた。最近になって色々な所に当たって、何とか折尾郷土史会の方と連絡が取れた。
その方の話しでは、2014年頃に病気で亡くなられたとの事だった。折尾郷土史会には4年位在籍していて、耳が悪くてほとんど聞こえなかったようだが、資料の調査は綿密だったと感心しておられた。亡くなられた後博多にいる弟さんが遺品整理をされていたらしいが、それ以上の事は分からなかった。

ホームページに管理人である三又茂さんの自己紹介と開設の経過があったので転載する。
『手習 始 (五十の手習で始めましたが、すでにアラ還となりました– M I M A T A.. S h i g e r u..)
「昭和24年日炭・高尾区楓町の生まれ、昭和31年頃末小学校に入学、昭和37年水巻中学校に入学、昭和40年折尾高校に入学、昭和41年高尾区楓町より香月に転居、平成22年折尾郷土史会に入会」
【開設の経過】最初は検索で日炭高松炭鉱を探しましたが、ほとんど見つける事が出来ませんでした、閉山からの時間の経過を痛感しました。水巻町役場や図書館等での資料探しから始めました。下記の2冊の水巻町誌と、2冊の労組史等が大変参考になりました。当初は2・4・5の3ページを予定していましたが、2013/03/08には96ページになりました。』

ご本人が書いているように、日炭高松炭鉱に関する情報はネットでは見つける事が少なく、このホームページは貴重な資料だと思う。三又さんは約10年に渡り、現地に行ったり、書籍を調べたりなど多くの労力を費やしてこのサイトを作っている。
現在のサイトは不完全なままで公開され続けているが、サイト運営者の都合でいつ無くなるか分からない。もし管理画面でログインできれば、サーバーにデータが残っている可能性もあるが、多分親族などの権利者で無ければその確認も出来ない。

私は2010年頃に、自分が関係する所や興味のあるページをダウンロードし残していたが、現在それらの多くは見る事ができなくなっている。念のためにホームページを収集しデジタルアーカイブとして残すサービスがあるのでそれでも調べてみた。その分野ではArchiveが運営する「Wayback Machine」が有名であるが、トップページが残っているのみだった。
それでデジタルアーカイブとして、公開したいと考えるようになった。三又茂さんのご遺族の方とは連絡が取れないので、やむを得ず許可無しで進める事にした。
最後は96ページの構成だったようだが、現在保存できているのは63ページ分である。残りのページはデータが保存してあれば復元出来るのだが、今の所難しそうだ。

年末から年始にかけて、残っている全てのページをチェックしてリンクの確認を行った。そして無料のホームページサービスを利用して『「日炭高松炭鉱の記憶」アーカイブ』として公開した。「このサイトについて」というページがあるので、それを引用して『「日炭高松炭鉱の記憶」サイトマップ』も作ったので参考にして欲しい。

最後にもし三又茂さんの弟さんやご親族の方をご存じであれば、是非ご連絡を頂きたいと思う。今回の公開について了解を頂くとともに、もし現在リンク切れで見る事ができないページのデータが残っていれば是非提供をお願いしたいと思っている。

【2023年7月18日追記】
リンク切れの原因は、ファイルはサーバーにあるけれどリンクのアドレスが違っているだけではないかと思いついた。そこでリンクのアドレスを試行錯誤して、新たに5ページ分のアドレスが判明してアーカイブページに復元できた。
現在アーカイブできているのは68ページ分で、残りは27ページとなっている。引き続きアドレスを色々試してみているが、表示されないようなので無理そうだ。なおオリジナルサイトのリンク切れは39ページあるが、アーカイブサイトではその内12ページ分の復元ができている。

日炭高松炭鉱の定点観察

かって日炭高松炭鉱第二鉱のあった福岡県遠賀郡水巻町古賀と梅ノ木団地付近の1984年と38年後である2022年の定点観察記録である。撮影場所は古い地理院地図の空中写真で調べている。1984年の写真は「日炭高松炭鉱の炭住街 1984」から8ヶ所と同じ場所を2022年11月19日に撮影した。なお写真の説明は日炭高松炭鉱の記憶にあるもの全部又は一部を引用させて頂いたが、加筆訂正など施している所もある。

なお日炭高松炭鉱の記憶のサイトは管理人の方と連絡が取れず、リンク切れも多い状態となっている。このサイトは2003年6月18日に開設され、日炭高松炭鉱をメインに筑豊の炭鉱の昔と今を丁寧に記録されていたが、2014年1月頃の更新が最後となっている。そのために引用については使用許可などは取れていないが、もし問題がある場合はご連絡頂ければと思う。

古賀区の炭住跡地は梅ノ木団地になった所以外は長い間空き地のままだったが、2013年に水巻中央幼稚園が新築され、それ以外の土地は現在太陽建機レンタル北九州西支店の総合ヤードとして使用している。なお今回の太陽建機レンタル敷地内からの撮影は許可を得て行っている。
国土地理院の空中写真にある南側の梅ノ木団地5棟(赤丸印【4~8】の東側)は取り壊されて更地になり、分譲住宅地として販売されている。38年を経過しているので大きく変わっている所が多いけれど、梅ノ木団地は当時出来たばかりなのでそれ程変化はないようだ。

写真番号【1】~【8】の撮影場所
「出典:国土地理院撮影の空中写真(1979~1983年撮影)を加工」
【1】1984年 二鉱山ノ神の階段下から見た日炭事務所(左)と宮ノ下社宅、右は明神ヶ辻山
2022年 右手の宮ノ下社宅跡は水巻町総合運動公園に変わっている
【2】1984年 二鉱ボタ山(浅川ボタ山)と、二鉱選炭場の変電所跡と思われる建物 
2022年 水巻図書館から水巻町中央方面 二鉱跡地は住宅地となり、右奥の山が唯一原形を留めている
【3】1984年 1972年に新築移転した水巻中学校(左上)と、日炭技術専門学校だった建物
2022年 日炭専用線の跡地は新道となり、右の元クリニックの裏には『躍進の像』が立っていた
【4】1984年 南側から見た古賀区の炭住跡と商店跡、その周囲を取り囲んでいる新築の梅ノ木団地群
2022年 長く空地(2014年頃までは空地を確認)であったが、現在は太陽建機レンタル北九州西支店の総合ヤード
【5】1984年 古賀区の炭住跡の西側
2022年
【6】1984年 後方の5階建ての集合住宅は1982年築
2022年 現在は賃貸マンションのビレッジハウス水巻となっている
【7】1984年 古賀区の炭住を南から見る
2022年 右の建物は2013年築の水巻中央幼稚園 
【8】1984年
2022年

ここからは日炭高松炭鉱の記憶『昭和30年代の日炭高松炭鉱第二鉱』から引用した2ヶ所の定点撮影記録。そのページは現在閲覧できないが、以前に保存したデータを使用している。
【9】は福岡県道202号水巻芦屋線の水巻町古賀を1960年頃の写真と同じ場所を、2022年11月19日に撮影した。【10】はその少し北の所で梅ノ木バス停付近だが、私の勘違いで定点撮影になっていない。1960年頃の写真は梅ノ木バス停から南の古賀方面を見ていて、【11】2022年の写真は反対側の古賀方面からで、梅ノ木団地前バス停付近から北の梅ノ木方面を見ている。吉川様の指摘で判明したので、地図と写真の説明を2023年7月14日に訂正した。

1961~1969頃の写真
写真番号【9】~【11】の撮影場所
「出典:国土地理院撮影の空中写真(1961~1969年撮影)を加工」
【9】1960年頃 南から見た古賀区社宅と新生街の商店
2022年 新生街の商店の入口部分のみ昔の道の名残がある
【10】1960年頃 北から南を見ている、右は梅ノ木バス停
【11】2022年 勘違いで山を挟んで反対の南側から撮影、右は梅ノ木団地前バス停

2022/12/06 追記 サイト「日炭高松炭鉱の記憶」の管理人さんについて情報があった。
サイトを開設していたのは三又茂さんと言う方で、折尾郷土史会に入っておられた。それと関係ある方に問い合わせた所、2014年(平成26年)頃に病気で亡くなられたと連絡を頂いた。独身であったらしくて、ご遺族との連絡は無理なようだ。

「日炭高松炭鉱の記憶」は無料ホームページサービスを利用していて、途中で利用サービスの変更があり最後はFC2の無料ホームページを使っている。2014年1月16日に新サイトに移転のお知らせがあり、現在もトップページなど一部は閲覧できる状態で残されているが、リンク切れのページが多くある。引っ越し作業がうまくいかなかったのか、途中で終わったのかは分からないが残念な状態となっている。

もし関係ある方と連絡がとれたら、こちらでサイトの再構築を提案しようかと考えたりしている。もしそれが無理な場合は、自分の関係ある所や興味があるページは、割と早い時期にダウンロードしてパソコンにデータとして残してあるので、今は見る事ができなくてこちらで保存してあるページを、アーカイブとして公開する事も考えている。当然権利者から事前に了解が必要なので、故人である場合はそのご遺族にと思うが、それは難しそうだ。もし心当たりの方があればお知らせ頂けると有難い。