追悼 岡本信也さん

野外活動研究会(略称:野外研)の創設時から長く代表をされていた岡本信也さんが、2025年12月31日に86歳で逝去された。大切な人が旅立ってしまった。

岡本信也さんは考現学、フィールドワークの実績だけではなく、とても博識な方で芸術や工芸など多くの分野について高い見識があった。私の考え方や生き方にも大きく影響を与え、いつまでも出来の悪い弟子のよう存在であった私だが、いつもやさしく見守って頂いた。

まず私が持っている岡本信也さんの著書を紹介しようと思う。
左は1978年1月15日発行野外活動研究会・フィールドへ別冊「物誌」岡本信也編著
右は1993年10月7日情報センター出版局発行「超日常観察記」岡本信也・岡本靖子共著

岡本信也さんの著書-01

左は1996年4月9日情報センター出版局発行「万物観察記」岡本信也・岡本靖子共著
右は2000年7月15日福音館書店発行「町のけんきゅう」岡本信也 | 岡本靖子=文・絵 伊藤秀男=絵

岡本信也さんの著書-02

「町のけんきゅう」は版を重ねていたようで、私が持っているものは2002年7月1日第4刷である。現在は在庫が無いようなので廃版となっているのかも知れない。

ここで岡本信也さんの略歴を、福音館書店より発行された「町のけんきゅう」から引用する。
『1940年名古屋市生まれ。雑誌編集者を経て、84年よりフリー。74年から各地をフィールドワークし、「街の考現学」などの新聞連載多数。日本生活学会、現代風俗研究会会員。名古屋市にあるフィールドワークの民間研究グループ「野外活動研究会」の活動を27年間にわたって続ける。』

野外研には岡本姓が複数名いることもあり、いつも信也さんと呼ばれていた。信也さんとの出会いは、名古屋の奥村写真館に勤めていた頃に仕事の関係で知り合った。今から50年も前の事で、当時仕事で学校の卒業アルバムをやっていたが、そのレイアウトを依頼していた。

アルバム用の撮影が終わり使用する写真を選択し、白黒のベタ焼などをページ毎に仕分けしてお願いしていた。雑誌の編集者であった信也さんはA3より少し大きめの用紙に、写真のレイアウトを完成して持って来ていた。
それで我々は原寸大のプリントを作成し、完成原稿として印刷所に渡していた。当時の卒業アルバムはまだコロタイプ印刷でやっていたと記憶しているが、すでにオフセット印刷もやっていて印刷方法の過渡期であったと思う。

信也さんから野外研の話を聞いて参加したのは、たぶん1978年頃だと思う。その当時の私は長い休みがあると撮影旅行に出かけ、撮影した写真で手作りの写真集を作って発行していた。
特にテーマがある訳ではなく撮影する目的もなかった私は、野外研で田舎に行ってフィールドワークで記録することを知って興味を持った。そして野外研は若い人達が集まって楽しそうに色々やっていると聞いて、いつも一人でいる事が多い私はそれにも惹かれて参加することにした。

初めてフィールドワークに出かけたのは、滋賀県の君ヶ畑であった。その当時撮影した集合写真に38歳の頃の信也さんが写っていたので掲載する。

1978年の岡本信也さん
1978年滋賀県君ヶ畑にて

私は1979年に「小椋谷の人びと」を自費出版したが、発行は野外研にしてもらった。出版後には色々な所に紹介してもらい、新聞にも取り上げてもらった。

信也さんの人柄は多くの人たちを野外研に引き寄せていた。その中には彫刻家やデザイナーもいたし、表現をする多彩な人達がいた。そして信也さんを通して多くの人たちと出会い刺激を受けた。

野外研では会員の持つ里山でタケノコ狩りをし皆で食べたり、夜は名古屋の飲み屋で語りあったりした。かって野外研ではトランプゲームの大貧民が流行ったらしいが、私は一度だけ参加した記憶がある。その頃の写真で信也さんと私が写っているものを2枚載せておく。

名古屋の伍味酉によく行ったが写真の場所は不明
誰か会員の山荘だったように記憶している

その後野外研のフィールドワークの対象は、田舎から町へと変わっていった。考現学の考えからして自然な流れで、相変わらず信也さんはコツコツとフィールドワークを続け会を牽引していた。私も初めはテーマを見つけて少しの間は参加したが、だんだんと足が遠のいていった。

その後1983年に私は当ても無く写真館をやめて独立した。そして翌年結婚して写真屋も兼ねた小さな写真スタジオを開いた。その年に子供も生まれて、その頃から私は仕事や家庭の事を言い訳に、会員としては席を置いていたが野外研の活動に参加することは少なくなった。

開業当時は収入が不安定でやっていけるのか不安だったが、フリーになり活動していた信也さんが中日新聞の人を紹介してくれた。そのお陰で中日新聞が発行する生活情報誌「街」の撮影を、開業間もない頃から依頼されるようになった。下の写真は1986年11月22日発行の「街」で岡本信也さんを取り上げたページだが、写真撮影は私が担当した。

「街」の記事
1986年11月22日発行の中日新聞社「街」

街は広告局の仕事だったので、関連して本紙の企画広告の撮影を依頼されることも多かった。そして名鉄が毎月発行している広報誌「めいてつNEWS」の撮影も依頼されて1986年8月から1990年6月まで、毎月の表紙や沿線を紹介する記事の撮影を行った。

1985年から86年にかけては、学習研究社発行の「季刊装飾デザイン」の二つの企画で取材の信也さんに同行して写真を担当した。その後1988年に同誌の撮影や記事を、信也さんの紹介で2回依頼されて掲載もされた。
信也さんのおかげでお店としての収入は少なかったが、撮影の仕事で生計を立てることが出来るようになっていった。

岡本信也さんの著書-04
記事や写真が掲載されている 左から「季刊装飾デザイン」13号、17号、26号、27号
岡本信也さんの著書-03
「季刊装飾デザイン」13号「日本工芸の旅⑧ 美濃の木工陶工を訪ねて」

信也さんはフリーになった後は、新聞や雑誌の連載などの文筆業の他に大学や短大、そして専門学校などの非常勤講師をやっていた。生活学や考現学のテーマで、多くの若い人達にフィールドワークの面白さや魅力を伝えていた。
私も野外研に入った事による縁で、今は廃校になってしまった名古屋総合デザイン専門学校の非常勤講師を長くやらせてもらった。下の写真は信也さんが、名古屋総合デザイン専門学校で非常勤講師をしていた頃に私が撮影した写真である。

岡本信也さんの肖像
2004年頃卒業アルバム用の写真
岡本信也さんの授業風景
2006年12月授業風景

野外研にはたまに顔を出す程度の期間が長く続いたが、2018年に仕事をリタイヤし彦根に引っ越してから、茅葺きとトタンを被せた屋根の家のフィールドワークなどをやり始めた。たまに名古屋などに出かけフィールドワークや会合にも顔を出すようになり、信也さん達とお茶や御飯をしながら話をするのが楽しみとなった。

そして「小椋谷の人びと」40年後の取材に関してもアドバイスをもらった。あの優しい笑顔と少し背を丸めた信也さんに会うことも、話すこともこれからは出来ないと思うと寂しい限りである。
少し最近の野外研でお話をされていた信也さんの写真を、最後に載せておこうと思う。信也さんは、いつも野外研の活動と仲間の事を愛していたように思っている。

2014年8月夏の発表会
2015年8月夏の発表会
2017年9月愛知県額田郡幸田町のフィールドワーク後の会合
2024年8月夏の発表会

岡本信也さんは多くの人たちに考現学、フィールドワークを通じて、社会や人間の見方や考え方、そしてどう生きていくべきかを伝えてきた。その影響を受けた一人として、最後にこれまでの多くのご厚意にお礼を申し上げ、感謝の気持ちを伝えたいと思う。どうもありがとうございました。