彦根の古民家ー男鬼集落

桜の咲く男鬼集落

彦根市の「茅葺きとトタンを被せた屋根」の記録を始めているが、4月17日に彦根市北東部の山奥にある男鬼(おおり)集落へ滋賀県道17号を多賀大社方面から行く事にした。着く少し前から道路の脇などに多くの車が止まっていたが、カーナビが目的地周辺ですと言うので、少し広い所に1台分空いていたのでそこに駐車した。横の車に人がいたので、どうしてこんなに車が多いのか尋ねると、ここは霊仙山の登山口で、霊仙山は人気の山だそうでおよそ5時間位のコースを歩くとの事、その方はもう下山してこれから帰る所だった。

少し歩くとちょうど春の祭礼を神社でやるようなので、お願いして撮影させてもらった。現在は集落に住む人はいないのに祭礼をやると言う事で、ふる里を大切にする気持ちは君ヶ畑と同じだなと思った。この集落は昭和55年頃に全ての住人がいなくなったが、現在もここに籍を残している人は5名いるそうで、7軒で祭礼などの行事をやっていてやれる間は継続したいとの事だった。そこは落合神社と言う名前で、土地の名が神社の名前になっているのは珍しいと話されていた。少しおかしいなとは思ったが、11時30分になると多賀大社から神主さんが到着して神事が始まった。

落合神社の祭礼
多賀町落合神社の祭礼

祭礼の撮影を終えて、茅葺きにトタンを被せた家の撮影を始めて、用意した地図と家の配置が違うのでおかしいと思い、通りがかった登山者にここがどの辺か地図で聞いてみた。ここはスマホの電波が届かなくてGoogleマップを見る事もできなかったが、その人のアプリの地図と見比べたりしてどうも男鬼集落では無い事が分かった。そこから車1台がやっと通れるような細い道が山奥へ続いていてもう少し先に男鬼集落があるようだ。

そこから車で男鬼集落方面に進むと彦根市道5023号となるが、道が細くて路上に木の枝や葉が沢山落ちている。車が進むとその枝が跳ねてガタンゴトンと車に当たる音がする。さらに小さな木が道に倒れ掛かっているので、車から降りて枝を除けながら進んだ。すると路肩が一部崩落していたり山の斜面から泥が流れている所があったりして、道なのか林の中なのか分からない様な所を進んでいった。
もう途中で引き返そうかと思うほどだったが、ユーターンや車とすれ違える所も無い道なので仕方なく前に進んでいった。しばらくして突然視界が開けて明るい場所に出た、そこが男鬼集落だった。炭焼窯らしきものがある所は車が数台止められる位の広場になっていたので、そこに車を置いた。落合集落から男鬼集落までは、距離にするとおよそ2kmくらいだが途中から約1.3kmの間は車がすれ違える場所も無い道だった。

男鬼集落は標高420mに位置して、積雪が多く冬季は道路が通行止めとなり閉ざされてしまう。後でネットで調べた所では昭和40年代後半から離村が始まり、1971年に廃村となり住む人はいなくなった。男鬼地区の保全を目的に1973年彦根市が林間学校「男鬼少年の家」を開設していたがそれも2013年に閉鎖された。また1988年に「男鬼町自然の家」が建てられていて、閉鎖されているが建物は今も残っている。

車から降りると、すぐ目に入ってきたのがモクレンの花だった。その先に今は使用されていない男鬼町自然の家があり、集落を歩くと日陰にはまだ少しだけだが雪も残り桜も咲いていて平地と比べて遅い春が訪れていた。

男鬼集落の春
桜の咲く男鬼集落

茅葺きとトタンを被せた屋根の家はGoogleマップで調べた時は6戸だと思っていたが、実際は7戸あった。そのうち1戸は茅葺きの家だった。
2008年頃住む人がいなくなってからも、元住人の方が集落の保全に来ていたりしている記録がある。また滋賀県立大学の学生団体が中心となって2004年から「限界集落の村おこし」として茅葺き民家の保全を行っていた。その後は男鬼楽座として2016年7月に茅葺き民家の葺き替えイベントをやってるが、その後はサイトの更新が無いので活動をしていないかも知れない。今回行った時に1軒だけ残っていた茅葺きの家の玄関付近に茅が立てかけてあったので、葺き替え用に取ってあるようだ。しかし、その茅葺き屋根は冬に降った大雪のためか一部壊れかけていた。

男鬼集落の茅葺きの家
男鬼集落に1軒だけ残る茅葺きの家

集落内の道に沿って水のきれいな小川が流れている。まず初めに川を渡った北側に1軒だけある家から撮影する事にした。ガラス戸が一部外れている側から反対に回ると、台風で風に飛ばされたかのように壁がほとんど無くなっていて、家の中が丸見えだった。家の中も散乱した状態で、柱も腐食して倒壊する危険もあるように思われた。中を覗くと屋根裏が見えたので、中に入って屋根裏の部分と台所にクドがあったのでそれも撮影させてもらった。

男鬼集落の家-9
壁が壊れて中が丸見えの家

その後集落内を撮影して回ったが、静かな山里で住んでいた人たちのぬくもりがまだ残っているような気がした。茅葺きとトタンを被せた屋根の家7軒のうち3軒は戸や壁が無くなっていて中が丸見えの状態で、積雪が原因ではないかと思われるが屋根の壊れている家も3軒あった。一部の家では屋内外にゴミが散乱しているが、全体としてはきれいで人が住んでいないにしては良く手入れされているように感じた。
帰りは同じ道を通ったが、運悪く対向車に出会ってしまった。対抗車の方がすれ違える所までバックしてもらえたが、もう走りたくない道のナンバーワンかも知れない。

彦根の古民家を調べる

彦根の古民家

2020年5月6日「彦根市の茅葺きとトタンを被せた屋根」を掲載し今後記録しようと思っていたが、やっとその準備に取り掛かった。

初めは近所で通りすがりに見かけた家を記録したが、その後は地図で探す事にした。初めはパソコンでGoogleマップの表示を航空写真にして屋根の形状などで探していたが、インドで迷子になった少年が25年後にGoogle Earthで故郷を探し出す実話に基づいた映画「LION ライオン 25年目のただいま」を思い出してGoogle Earthで調べる事にした。さらにストリートビューでも確認したりする。
しかし見つけてその場所に行ってみると、すでに解体され無くなっている事があった。ストリートビューなどの更新は都市部では1年程度と割と短めだが、彦根市はメイン通り以外の住宅地などではまだ2012年12月のデータになっていたりするので、そんな事が起こる。

探した方法をここで説明しようとしたが、Googleマップは規約で「地図そのもののスクリーンショットや画像」の使用を禁止している。ただしGoogle Earthの画像は権利帰属表示があり非営利であれば使用可能なようなので、Google Earthの画像を掲載する。
下のGoogle Earthの画像左端の中央に「唯稱寺」がある。この画像に5軒の茅葺きにトタンを被せた屋根の家がある。クリックすると拡大するので探してみてほしい。手前にある赤っぽい屋根の3軒はすぐにわかると思うが、あとの2軒は少し分かり難い。

Data Japan Hydrographic Association
Data SIO, NOAA, U. S. Navy, NGA, GEBCO
©2022 Google
[ 左端の中央に「唯稱寺」がある(クリックで拡大)]

参考にGoogleマップも規約に従ってリンクさせておくので「拡大地図を表示」をクリックして唯稱寺の東側を拡大して見て頂きたい。Googleマップは右下にある方位磁石下の「3D」マークをクリックすると、「ビューを傾斜」したり「Ctrlキーを押しながらドラックすると、フル3Dモード が開きます」などの使い方が最近は出来る様になっている。フル3Dモードを使えばより建物の形状が分かりやすくなり探すのが楽になる。画像を載せる事ができないので、興味のある方は実際にやってみてほしい。

彦根市の面積は98.28+98.59(琵琶湖の面積)=196.87㎢となっている。陸地のみは東西22.5km、南北12.35kmなのでおよそ東西を3.6km、南北を2.6kmで16区画に分け、1区画分をA3用紙に収まるよう1/7000の地図にして見つけた家屋に印を付けていく作業をした。1区画ごとにGoogleマップとGoogle Earthなどで、端から端まで屋根の形状などで探していく作業をかなりの日数をかけて行った。そして撮影に行く時に家を特定できるよう、拡大した1/3500や1/1800などの地図も用意して印を入れていった。

建物所在地の特定に使用するインターネット地図は「Googleマップ」「Yahoo!地図」「地図マピオン(Mapion)」の三つを比較して、表示がカラフルで建物が一番見やすかったMapionを使用した。GoogleとYahoo!は広告関連で店舗などの表示が多くて煩わしいのと建物表示がモノトーンで分かり難かった。なお建物の細かい番地表記はYahoo!地図が一番詳しい。

今まで調べた所では総戸数199戸で、Googleマップなどでは見る事ができるが現在は無くなっている家が3戸となっている。Google Earth Proの場合は画面上部の時計ボタンを押すと年月がある目盛りが出てきて、それをスライドさせると古い航空写真を見る事ができるので、データがある場合はいつ頃に無くなったかもある程度分かる。早く記録しておかないと無くなる家が多くなりそうだ。

これまでに撮影しているのは19戸なのでまだまだこれからになるが、少しずつ進めていこうと思っている。地図では見落としがあると思うので、行く途中や目的地近くで探したり、撮影したお家の方に聞くなどして情報を集め出来るだけ漏れが少なくなるように記録しようと思っている。