今年最後の小椋谷君ヶ畑

君ヶ畑の入口と出口の比較

12月21日に再度君ヶ畑へ行ってきた。
前回と同様に約40年前との定点撮影を試みた。今回は当時の写真を10.1インチのタブレットに入れたので、前回よりは大きく見る事ができ細かい所を注意して試みたが、やはり撮影位置や角度、レンズの焦点距離などを揃えるのは無理だった。今回もフォトショップで補正して調整した。

集落への入口付近。
1978年には空に木材の搬出用のワイヤーロープが掛かっている。当時は製材所もあったが、現在は無くなっている。右側にあった製茶工場は2年前の大雪で壊れてそのままになっている。

君ヶ畑入口の比較

集落からの出口付近。
現在の写真右側にある石垣は、林業の衰退とともに過疎化が進み廃校となった君ヶ畑分校への入口。旧校舎は現在ノエビアの鈴鹿高山植物研究所になっている。当時道路は未舗装だったが、今は舗装されている。

集落の出口の比較

墓地の入口付近。
階段のコンクリートが古くなり、手すりが設置されている。左は壊れた製茶工場の後。

墓地の入口付近の比較

元製茶工場の内部。
現在は2015年に発足した「木地師のふるさと高松会」の作業などを行っている。この日は会の人たちが集まって作業や大掃除などを行っていた。事務局長をやっている瀬戸洋海さんは写真集に若い頃の姿が写っていて、今でも君ヶ畑に住んでいる。機械などは処分されているが、土台の一部は再利用されている。当時製茶工場は2か所にあった。

製茶工場内部の比較

[カメラ:EOS 5D Mark III]
[レンズ:CANON EF17-40mm F4L]

40年ぶりの小椋谷君ヶ畑

鳥居のある風景40年前と現在

12月8日(日)に小椋谷の君ヶ畑へ行ってきた。およそ40年ぶりの訪問になる。
午前10時30分頃に着いた。君ヶ畑は標高450m位にあるので、麓に比べると肌寒く空気が違う。遠くに見える山はもう雪化粧していた。
集落の中を歩いていると、家の外で片付けをしている人がいたので声をかけ、少し話をして自治会長さんを教えてもらい訪ねた。自治会長さんは普段は君ヶ畑に住んでいなくて週末のみ来ているとの事だが、日曜日だったので在宅されていて庭で通路の整備作業をしていた。庭の周りに柵があるので聞いてみると、近年は鹿や猿が作物を荒らすので柵なしではどうしようもないらしい。

お茶をごちそうになりながら、お墓参りの事や正月の事、その他色々とお話しを伺った。たまたま居合わせた方達にも現在の君ヶ畑の状況などを伺う事ができた。1979年には集落に52戸ありそのうち14戸は空き家で38戸が居住していた。現在住んでいるのは13戸になっているとの事で、およそ三分の一に減っていて空き家の数と居住している家の数が逆転している。空き家が多く、茶畑も一部を残すのみで以前撮影したお茶工場や製材所などはすでに無くなっていて、摘んだお茶は政所まで持って行き加工してもらうとの事だった。

写真集を持参して行ったので、写っている方たちの消息を教えてもらった。当時高齢だった方はすでに亡くなった方が多い。当時60歳の人は健在であれば今は100歳になっているし、60歳以上の方も多く写っているので当然ではある。写真に写っていて健在な方もみえると何人かの名前を挙げて教えてもらった。そのうちの一人当時製材所で働いている所を撮影した小椋昭二さんは、現在君ヶ畑で木地師として工房「ろくろ工房君杢」をやっているとの事だった。今回は今後君ヶ畑を撮影しに伺う事についてのご挨拶とお願いが主な目的だったので、それぞれのお家などを訪ねるのは次回以降にして、その日は集落内の景色などを撮影して夕方には君ヶ畑を後にした。

今回の君ヶ畑の撮影では、40年前に撮影した場所を探して、同じ所で同じように撮影する事を考えている。この日は季節が違うけれど数ヶ所定点撮影してきた。
昔の写真と比較しながら注意深く撮影したつもりだが、少しの撮影位置や角度、レンズの焦点距離やレンズ自体の違いなどで結構ずれてしまっていた。今回は結局フォトショップで修正したが、次回からはもっと細かくチェックし出来るだけ修正が無いように撮影する必要がある事を痛感した。



[カメラ:EOS 5D Mark III]
[レンズ:CANON EF24-70mm F2.8L]