アーカイブ

●小椋谷「君ヶ畑」の記録
木地師発祥の地として知られる滋賀県東近江市の「小椋谷」その中で主に君ヶ畑を1978年4月から1979年6月まで通い生活の様子などを記録した。
「写真集 小椋谷の人びと」として編集出版した写真と、それに使用されなかった写真を撮影した日付別に公開している。

「写真集小椋谷の人びと」表紙

●君ヶ畑の40年前と今

滋賀県東近江市君ヶ畑町を1978~1979年に撮影したが、その40年後になる2019年から2023年に同じ場所や行事などを撮影している。
人物や行事などは撮影場所が変わる事もあるが、それ以外は出来るだけ同じ場所やアングルでの撮影を心掛けている。ここでは都会に比べて変化は小さくてゆったりと時間が過ぎている気がするが、やはり40年経つと変わっている物も多い。

41年前との比較

●茅葺きとトタンを被せた屋根の家
滋賀県彦根市では、茅葺きや茅葺きにトタンを被せた屋根の家を住宅地の所々で見かける。中には手入れされていない家もあり、錆びたトタン屋根には心惹かれたりもするが、解体され減り続ける運命にある。
これは現在も残っているそれらの家を、2020年から2023年にかけて記録したものである。

トタンを被せた屋根の家

●日炭高松炭鉱の記録
福岡県遠賀郡水巻町にあった日炭高松炭鉱の記録である。
かつて日本の主要な石炭の産地であった筑豊炭田の北部に位置する、日本炭礦株式会社の遠賀鉱業所は日炭高松炭鉱と呼ばれた。しかし石炭産業は段々と衰退し、高松第一鉱業所は1966年(昭和41年)2月に閉山、1971年 (昭和46年)には日本炭礦株式会社が解散を決めている。
ここでは日炭高松炭鉱に関する写真や記録などを紹介している。

昭和59年日炭古賀

●片山摂三写場の記憶と記録

かって片山摂三写場と称していた片山写真館(福岡市)は2019年9月に閉館した。私は1970年から1973年まで約3年間在籍していたが、その当時の写真館の様子やカメラや撮影、人物の修整などについて記憶をたどり記録している。

片山摂三写場の記録と記憶

●堀尾貞治展 1980年

現代美術作家の堀尾貞治氏は1939年神戸生まれ、具体美術協会の元会員で2018年11月に79才で亡くなられた。
1980年6月堀尾貞治展「同時空間・ブラックペイント」と題して名古屋市のボックスギャラリーで開かれた。これはその制作風景を撮影記録したものである。

制作中の堀尾貞治氏

●名古屋 2007~2015年
2007年から2015年に非常勤講師をしていた名古屋総合デザイン専門学校(2018年廃校)の学生達と一緒に、授業の一環で名古屋の街をあちこち歩いて撮影したものから選んだ写真である。

名古屋城天守閣より北を望む