彦根城の桜

彦根城と桜

4月7日に彦根城まで自転車で行ってきた。桜はちょうど満開を迎えていたが、着いた頃から次第に花曇りとなりすっきりした青空ではなかった。彦根城は姫路城、松本城、犬山城、松江城とともに天守が国宝に指定されている。
以前行った時は外国人の姿も多く見られ観光客で賑わっていたが、今は新型コロナウィルスのために人が少ない。着いたのは11時30分頃で天守のある本丸には12名ほどがいるだけだった。それでも帰る午後1時頃には人も多くなり、城内の駐車場は満車になっていた。その日はすでに屋内の施設は観覧を休止していたが、昨日からは屋外部分を含む有料区域内全域が公開休止となっているので今は本丸には行けない。今日が誕生日のひこにゃんは、すでに登場が中止されていて現在の所彦根城の休止と同じ5月6日まで継続の予定になっている。

[カメラ:EOS 5D Mark III]
[レンズ:CANON EF28-300mm F3.5-5.6L]

2020年4月 普請 小椋谷君ヶ畑

水仙の咲く君ヶ畑

4月5日は時折強い風の吹く寒い日だったが、君ヶ畑で普請が行われた。集落から滋賀県道34号多賀永源寺線までの道路の側溝を全戸で掃除する。側溝は崩れ落ちた土砂や落ち葉などで所々塞がれていて、そのままだと水が溢れて道路に悪影響がある。普段住んでいない人達も参加して午前8時頃に始まり11時半前には終わったが、新型コロナウイルス感染症対策でマスクを着用する人が多かった。

文芸春秋3月号に、葉上太郎さんの連載「ルポ 地方は消滅しない」の41回「滋賀県東近江市君ヶ畑・蛭谷」に君ヶ畑に関する記事が掲載されている。君ヶ畑と蛭谷の木地師発祥の地としての歴史などの紹介や、常時住む人は少なくなったが実際には住んでいない出身者も自治会員として在籍し、行事などに参加し役員などにもなる事で集落を維持している珍しい自治会として紹介されている。その行事の一つが普請で、全戸が参加して年に3回行われる。君ヶ畑の自治会に加入しているのは26戸あるが、朝の集合時には全部で27名いた。ほぼ全戸の参加と思われるが、1戸から2名来ている家などもあったので確認は取れていない。参加できない場合は、お金を支払う必要があるとの事だった。

普請と聞いて家を建てる事を思い浮かべたが、『ウィキペディア(Wikipedia)』によると普請(ふしん)とは仏教用語で「普く(あまねく)請う(こう)とも読み広く平等に奉仕(資金・労力・資金の提供)を願う事であり、社会基盤を地域住民で作り維持していく事を指し、現在では公共の社会基盤を受益する共同の人々または公共事業により建設(建築と土木を併せ建設という)および修繕、維持する事。」とあり、今回の君ヶ畑の普請はその解説通りの事を実践しているが、正確に言えば溝普請と言う事になるのだろう。自分が入っている自治会での公園や道路の清掃なども普請になるのだが、その様に言う事は無い。

[[カメラ:EOS 5D Mark II・EOS 5D Mark III]
[レンズ:CANON EF17-40mm F4L・CANON EF28-300mm F3.5-5.6L]

41年を経ての公開 小椋谷の人びと

瀬戸さん母娘の入浴

写真集「小椋谷の人びとを」を編集した時に、撮影したけれど掲載しなかった写真が多くある。その中でも瀬戸さんの母娘二人が仲良くお風呂に入っている写真は記憶に残るものだった。それは掲載のお願いはしたが、当時の判断で見送ったものだった。今回のホームページを開設した時も以前許可が無かったので掲載していなかった。
瀬戸さんご一家は約41年前に撮影に行った時に大変お世話になり、一番多く訪ねた。撮影する機会も多く、元旦の食事風景やおじいさんの入浴風景など写真集には多く登場する。当時のご家族はご夫婦と3人の娘さん、そしておじいさんの6人暮らしで、お盆に全員で家族写真も撮影していた。現在君ヶ畑には住んでおられないが、2月に雪の写真を撮影に行った時に偶然ご主人だけにはお会いする事ができた。今回はお彼岸のお墓参りに奥様と写真に写っている一番下の娘さんも帰って来られていた。
墓地でのお参りが終わった後にお家を訪ねたが、娘さんはお風呂で写真を撮影した事をはっきりと覚えておられた。写真の公開についてお願いすると、お母さまも一緒に快く承諾して頂けた。そして全員揃ってはいないけれど、以前お盆の時と同じ場所で家族写真を撮影した。

家族写真1978年と2020年
1978年の一番右側の娘さんが、2020年の左から2人目。

瀬戸さん母娘の入浴
瀬戸さん母娘の入浴