阿下喜を歩く まちの観察会

濃州道の阿下喜

9月11日に野外活動研究会の「まちの観察会」に参加して、三重県いなべ市北勢町阿下喜(あげき)を歩いた。いなべ市は三重県最北端にあり西は鈴鹿山脈で滋賀県と接し、北は養老山地で岐阜県に接している。
阿下喜はその中央に近い所にあり、現在東海環状自動車道の工事も進行中で、やがて北は大垣そして南は四日市に通じる予定になっている。

阿下喜には古い街道である濃州道が通っていて、江戸時代の頃はこの辺の中心的な商業集落として酒造家や旅籠などもあり賑わっていたようで、古い商家の建物が残る町並には昔の面影が残っている。

私が住む彦根からは鈴鹿山脈の鞍掛峠を越えて車で一時間弱と割に近い所にあり、南では石榑トンネルを経由すると木地師の里である東近江市の君ヶ畑に通じる。
私は車で行ったが会員の多くは名古屋から近鉄またはJRで桑名まで行き、三岐鉄道北勢線の西桑名駅から阿下喜駅10:07着の列車で来るので、駅で午前10時10分の集合だった。その後皆で濃州道沿いなどを歩いて気になったものなどを撮影記録した。

木乃丸院窯を訪ねて

木乃丸院窯の花器

2月2日に福岡県嘉麻市椎木にある木乃丸院窯を訪ねたが、冬とは思えぬ穏やかな日だった。木乃丸院窯を主宰するのは松山正博さんである。
私は松山さんと同じ福岡県立東筑高校卒業で2年後輩になる。初めて出会ったのは福岡県の小石原焼の窯元が集まった小石原村(現在は東峰村)の皿山と言う人里離れた山あいの地区で隣同士の窯元に偶然弟子入りした時だった。現在NHKで放送されている「スカーレット」は滋賀県の信楽焼が舞台だが、主人公の喜美子が穴窯を始める前年の1968年に私は2年遅れで弟子入りした。松山さんが弟子入りしたのは喜美子が本格的に陶器作りを始めたのと同じ頃になる。古くからあった小石原焼は民陶として名が知られるようになり、当時は6名位の地元以外の若者が陶芸を目指してそれぞれ別の窯元に住み込みで弟子入りしていたが、時々皆で集まっては飲みながら人生論や芸術論を交わしたりなどしていた。当時窯元にいた我々の様子を取材に訪れたカメラマンが現在松山さんの奥様の昌子さんだった。しかし私は1年間で小石原を離れ、後に福岡市でカメラマンをしていた昌子さんの紹介で写真を始めた。
松山さんは1971年に独立して小石原村鼓で木乃丸院窯を始めた。その後1976年に福岡県嘉穂郡庄内町(現在は飯塚市)に場所を変え各地で個展を開くなど活動を続けていたが、諸事情で2013年に現在の福岡県嘉麻市椎木に移転している。
松山さんの仕事は美しい生活の道具「身辺陶器」として、小石原焼とは違い藍色の呉須、美しい赤色の辰砂、青緑色の青磁などの釉薬を使い独自の造形で美しい色合いの器を作っている。また身辺陶器以外にも魅力的な自分の作品も多く作っている。木乃丸院窯のホームページはこちら。
ついこの間行ったと思っていたが、訪ねたのは実に5年ぶりだった。実家のある福岡は私達夫婦の両親が健在な間は正月やお盆の帰省や病気見舞などでよく帰ったので折に触れ訪ねていたが、全員が旅立ってからは法事に帰る位で行く機会が段々と少なくなった。この日も法事の後で、実家から遠くなった事もあって残念ながら僅か2時間ほどの滞在だった。

[カメラ:EOS 5D Mark III]
[レンズ:CANON EF24-105mm F4L]