彦根の古民家を調べる

彦根の古民家

2020年5月6日「彦根市の茅葺きとトタンを被せた屋根」を掲載し今後記録しようと思っていたが、やっとその準備に取り掛かった。

初めは近所で通りすがりに見かけた家を記録したが、その後は地図で探す事にした。初めはパソコンでGoogleマップの表示を航空写真にして屋根の形状などで探していたが、インドで迷子になった少年が25年後にGoogle Earthで故郷を探し出す実話に基づいた映画「LION ライオン 25年目のただいま」を思い出してGoogle Earthで調べる事にした。さらにストリートビューでも確認したりする。
しかし見つけてその場所に行ってみると、すでに解体され無くなっている事があった。ストリートビューなどの更新は都市部では1年程度と割と短めだが、彦根市はメイン通り以外の住宅地などではまだ2012年12月のデータになっていたりするので、そんな事が起こる。

探した方法をここで説明しようとしたが、Googleマップは規約で「地図そのもののスクリーンショットや画像」の使用を禁止している。ただしGoogle Earthの画像は権利帰属表示があり非営利であれば使用可能なようなので、Google Earthの画像を掲載する。
下のGoogle Earthの画像左端の中央に「唯稱寺」がある。この画像に5軒の茅葺きにトタンを被せた屋根の家がある。クリックすると拡大するので探してみてほしい。手前にある赤っぽい屋根の3軒はすぐにわかると思うが、あとの2軒は少し分かり難い。

Data Japan Hydrographic Association
Data SIO, NOAA, U. S. Navy, NGA, GEBCO
©2022 Google
[ 左端の中央に「唯稱寺」がある(クリックで拡大)]

参考にGoogleマップも規約に従ってリンクさせておくので「拡大地図を表示」をクリックして唯稱寺の東側を拡大して見て頂きたい。Googleマップは右下にある方位磁石下の「3D」マークをクリックすると、「ビューを傾斜」したり「Ctrlキーを押しながらドラックすると、フル3Dモード が開きます」などの使い方が最近は出来る様になっている。フル3Dモードを使えばより建物の形状が分かりやすくなり探すのが楽になる。画像を載せる事ができないので、興味のある方は実際にやってみてほしい。

彦根市の面積は98.28+98.59(琵琶湖の面積)=196.87㎢となっている。陸地のみは東西22.5km、南北12.35kmなのでおよそ東西を3.6km、南北を2.6kmで16区画に分け、1区画分をA3用紙に収まるよう1/7000の地図にして見つけた家屋に印を付けていく作業をした。1区画ごとにGoogleマップとGoogle Earthなどで、端から端まで屋根の形状などで探していく作業をかなりの日数をかけて行った。そして撮影に行く時に家を特定できるよう、拡大した1/3500や1/1800などの地図も用意して印を入れていった。

建物所在地の特定に使用するインターネット地図は「Googleマップ」「Yahoo!地図」「地図マピオン(Mapion)」の三つを比較して、表示がカラフルで建物が一番見やすかったMapionを使用した。GoogleとYahoo!は広告関連で店舗などの表示が多くて煩わしいのと建物表示がモノトーンで分かり難かった。なお建物の細かい番地表記はYahoo!地図が一番詳しい。

今まで調べた所では総戸数199戸で、Googleマップなどでは見る事ができるが現在は無くなっている家が3戸となっている。Google Earth Proの場合は画面上部の時計ボタンを押すと年月がある目盛りが出てきて、それをスライドさせると古い航空写真を見る事ができるので、データがある場合はいつ頃に無くなったかもある程度分かる。早く記録しておかないと無くなる家が多くなりそうだ。

これまでに撮影しているのは19戸なのでまだまだこれからになるが、少しずつ進めていこうと思っている。地図では見落としがあると思うので、行く途中や目的地近くで探したり、撮影したお家の方に聞くなどして情報を集め出来るだけ漏れが少なくなるように記録しようと思っている。

破風に「水」の文字

茅葺きの破風-003

茅葺きにトタンを被せた家を記録していると、破風に水という文字の書いてある家が多い。彦根市では茅葺き以外の民家でも時々見かけるが、以前住んでいた名古屋市近辺では見なかったので気になっていた。調べてみると関西方面にはよくあるようで、滋賀県は特に多いようだ。

小椋谷の君ヶ畑の写真を調べてみると、破風に家紋の場合もあるが多くの家に水の文字があった。これまで気が付いてはいたけれど、何となく屋号のようなものかなと漠然と思っていた。調べてみると瓦に水の文字があるのと同じ様に、火災から建物を守る火伏せのまじないとして入れているようだ。その由来は庶民には許されなかった懸魚(げぎょ)の代わりに水と言う文字を描くことで火伏せのまじないとしたようで、江戸時代末期に始まり明治の頃に定着したらしい。

懸魚とは神社やお寺などの破風板部分に彫刻を施し取り付けられた妻飾りの事で、もともと中国で水と関わりの深い魚を屋根に懸けることによって、火に弱い木造の建物を火災から守るために火伏せのまじないとして取り付けた事による。中国では垂魚とも呼ばれ雲南省には魚の形をした板を屋根に懸ける風習が残っているらしいが、日本では様々な意匠をこらした装飾的なものとなっている。懸魚はもともと寺社や城の建築のみに使われていたが、江戸時代には武家屋敷や庄屋クラスの民家にも付けられることが許されるようになり、明治以降は一部民家の建築でも使われるようになった。機能的には屋根の両端の瓦のない部分や、棟木や桁の端などを隠して雨風から守る意味もある。

彦根市の社寺にある懸魚
彦根市の民家に破風にある「水」の文字

これまで撮影した茅葺きの破風には色々なタイプがある。トタンを被せた屋根では水の文字や家紋、懸魚もあった。茅葺きが残っている家では、文字などは無く前垂れと呼ばれる葭などを竹で押さえた棟端飾りが残っている。これまで記録した12戸のうち水の文字があるのは6戸だった。また懸魚は4戸に付いていて、1戸は懸魚、家紋、水の文字と三つ揃っている。