彦根の古民家ー鹿島家住宅

鹿島家住宅の主屋

彦根市に残る「茅葺きとトタンを被せた屋根」の記録を進めている。現在までに調べた所では約220戸位残っていて、撮影した家が120戸になったのでやっと半分は終わった。
撮影に行くと解体されて無くなっている家がある一方で、現地付近で新たに発見する家も多くあり合計戸数はまだ確定していない。調べた家の撮影が終わっても、ある程度の見落としは仕方ないと思っている。まだ写真は整理中なのだが、形式を考えて一覧で見てもらえるようにしようと思っている。

撮影に行った時には出来るだけ声をかけて、撮影の趣旨をお伝えするようにしている。留守などで声掛けをしても応答がない場合や空き家などはそのまま撮影するが、在宅されている場合は建築年やトタンを被せた時期などをお聞きして分かれば記録している。
5月7日に肥田町にある1軒を訪ねた所、中で電動ノコのような音がしていた。玄関付近に看板らしきものがあったので、ノックすると男性が出てこられて撮影の趣旨をお伝えすると変わって奥様に対応して頂けた。撮影のお願いをすると快く許可して頂けて、この家について聞かせてもらったが、彦根市の市指定文化財になっているとの事だった。
帰ってから調べると、この家は「鹿島家住宅」で約150年前の江戸時代後期に建てられている。当時の農家の面影を良好に伝える数少ない住宅として平成22年3月16日に市指定文化財に登録されている。

現在はご夫婦で営む木製スピーカーの工房とショールームを兼ねた店「HORA AUDIO(ホラオーディオ)」として2015年の10月から利用されている。撮影は外観のみだったが、彦根市の資料によると当時の間取りや桶風呂などの古い物が残されている貴重な住宅との事である。屋根は現在トタンを被せてあるが、奥様はできれば将来茅葺きに戻したいとの希望があると話されていた。

鹿島家住宅-10
主屋の外観 門の左は外便所
鹿島家住宅-04
玄関前 左が「かわと」右が主屋
鹿島家住宅-11
水路に接した「かわと」から見た主屋

彦根の古民家ー男鬼集落

桜の咲く男鬼集落

彦根市の「茅葺きとトタンを被せた屋根」の記録を始めているが、4月17日に彦根市北東部の山奥にある男鬼(おおり)集落へ滋賀県道17号を多賀大社方面から行く事にした。着く少し前から道路の脇などに多くの車が止まっていたが、カーナビが目的地周辺ですと言うので、少し広い所に1台分空いていたのでそこに駐車した。横の車に人がいたので、どうしてこんなに車が多いのか尋ねると、ここは霊仙山の登山口で、霊仙山は人気の山だそうでおよそ5時間位のコースを歩くとの事、その方はもう下山してこれから帰る所だった。

少し歩くとちょうど春の祭礼を神社でやるようなので、お願いして撮影させてもらった。現在は集落に住む人はいないのに祭礼をやると言う事で、ふる里を大切にする気持ちは君ヶ畑と同じだなと思った。この集落は昭和55年頃に全ての住人がいなくなったが、現在もここに籍を残している人は5名いるそうで、7軒で祭礼などの行事をやっていてやれる間は継続したいとの事だった。そこは落合神社と言う名前で、土地の名が神社の名前になっているのは珍しいと話されていた。少しおかしいなとは思ったが、11時30分になると多賀大社から神主さんが到着して神事が始まった。

落合神社の祭礼
多賀町落合神社の祭礼

祭礼の撮影を終えて、茅葺きにトタンを被せた家の撮影を始めて、用意した地図と家の配置が違うのでおかしいと思い、通りがかった登山者にここがどの辺か地図で聞いてみた。ここはスマホの電波が届かなくてGoogleマップを見る事もできなかったが、その人のアプリの地図と見比べたりしてどうも男鬼集落では無い事が分かった。そこから車1台がやっと通れるような細い道が山奥へ続いていてもう少し先に男鬼集落があるようだ。

そこから車で男鬼集落方面に進むと彦根市道5023号となるが、道が細くて路上に木の枝や葉が沢山落ちている。車が進むとその枝が跳ねてガタンゴトンと車に当たる音がする。さらに小さな木が道に倒れ掛かっているので、車から降りて枝を除けながら進んだ。すると路肩が一部崩落していたり山の斜面から泥が流れている所があったりして、道なのか林の中なのか分からない様な所を進んでいった。
もう途中で引き返そうかと思うほどだったが、ユーターンや車とすれ違える所も無い道なので仕方なく前に進んでいった。しばらくして突然視界が開けて明るい場所に出た、そこが男鬼集落だった。炭焼窯らしきものがある所は車が数台止められる位の広場になっていたので、そこに車を置いた。落合集落から男鬼集落までは、距離にするとおよそ2kmくらいだが途中から約1.3kmの間は車がすれ違える場所も無い道だった。

男鬼集落は標高420mに位置して、積雪が多く冬季は道路が通行止めとなり閉ざされてしまう。後でネットで調べた所では昭和40年代後半から離村が始まり、1971年に廃村となり住む人はいなくなった。男鬼地区の保全を目的に1973年彦根市が林間学校「男鬼少年の家」を開設していたがそれも2013年に閉鎖された。また1988年に「男鬼町自然の家」が建てられていて、閉鎖されているが建物は今も残っている。

車から降りると、すぐ目に入ってきたのがモクレンの花だった。その先に今は使用されていない男鬼町自然の家があり、集落を歩くと日陰にはまだ少しだけだが雪も残り桜も咲いていて平地と比べて遅い春が訪れていた。

男鬼集落の春
桜の咲く男鬼集落

茅葺きとトタンを被せた屋根の家はGoogleマップで調べた時は6戸だと思っていたが、実際は7戸あった。そのうち1戸は茅葺きの家だった。
2008年頃住む人がいなくなってからも、元住人の方が集落の保全に来ていたりしている記録がある。また滋賀県立大学の学生団体が中心となって2004年から「限界集落の村おこし」として茅葺き民家の保全を行っていた。その後は男鬼楽座として2016年7月に茅葺き民家の葺き替えイベントをやってるが、その後はサイトの更新が無いので活動をしていないかも知れない。今回行った時に1軒だけ残っていた茅葺きの家の玄関付近に茅が立てかけてあったので、葺き替え用に取ってあるようだ。しかし、その茅葺き屋根は冬に降った大雪のためか一部壊れかけていた。

男鬼集落の茅葺きの家
男鬼集落に1軒だけ残る茅葺きの家

集落内の道に沿って水のきれいな小川が流れている。まず初めに川を渡った北側に1軒だけある家から撮影する事にした。ガラス戸が一部外れている側から反対に回ると、台風で風に飛ばされたかのように壁がほとんど無くなっていて、家の中が丸見えだった。家の中も散乱した状態で、柱も腐食して倒壊する危険もあるように思われた。中を覗くと屋根裏が見えたので、中に入って屋根裏の部分と台所にクドがあったのでそれも撮影させてもらった。

男鬼集落の家-9
壁が壊れて中が丸見えの家

その後集落内を撮影して回ったが、静かな山里で住んでいた人たちのぬくもりがまだ残っているような気がした。茅葺きとトタンを被せた屋根の家7軒のうち3軒は戸や壁が無くなっていて中が丸見えの状態で、積雪が原因ではないかと思われるが屋根の壊れている家も3軒あった。一部の家では屋内外にゴミが散乱しているが、全体としてはきれいで人が住んでいないにしては良く手入れされているように感じた。
帰りは同じ道を通ったが、運悪く対向車に出会ってしまった。対抗車の方がすれ違える所までバックしてもらえたが、もう走りたくない道のナンバーワンかも知れない。