君ヶ畑のお盆「棚経と施餓鬼」

君ヶ畑の施餓鬼

新型コロナウイルス感染症で滋賀県には緊急事態宣言が出ていて訪ねるのを悩んだが、他府県からでは無い事や私を含めて高齢者はワクチンの接種が進んでいる事もあり、8月13日と15日に東近江市君ヶ畑町にお盆の様子を撮影に出かけた。

君ヶ畑では15日午前中に金龍寺の住職が各家に行き棚経をあげてまわる。前住職は亡くなるまで金龍寺に住んでいたが、現在は少し離れた東近江市川合町にある願成寺の住職が兼務している。前住職の頃は14日の午前中に棚経が終わり、午後から各家はお寺に祝儀(盆礼)を持って行っていたが、今は各家で渡すようになったのでお寺には行かなくなった。住職は君ヶ畑を離れた檀家にも別の日に棚経をあげに行く。
棚経は盆棚の前でお経をあげてもらう事からきているが、近年は盆棚をきちんとやっている家は少なくなった。お盆の行事は習俗なので盆棚も地方や宗派によって違いがあるようだが、君ヶ畑では盆棚の習慣を守って飾り付けをしている家が2軒あったが、1軒はすでに空き家になっていて今は小椋㐂久雄さんの家だけが盆棚の習慣を守っている。盆棚はお盆に先祖の霊に供物を備える棚のことで、地域によっては精霊棚や先祖棚と呼ばれ仏教の曹洞宗、臨済宗、浄土宗、真言宗などで行われる。私の家は浄土真宗なので、これまで棚経や盆棚の文化が無く棚経と言われても初めは良く分からなかった。

住職がお寺に戻ると午後から本堂で施餓鬼(山門大施餓鬼会)が行われる。その後オショウライ送りで御池川にお供え物などを流しに行くのだが、今年のお盆は降り続いた雨の影響で増水して濁流になっているので河原の近くには行く事ができなかった。
 ※ 参考文献「君ケ畑の民俗-木地屋のふるさと 菅沼晃次郎 著」

盆棚と小椋さん
昔ながらの盆棚と小椋㐂久雄さん
棚経
棚経の様子
棚経の様子
棚経の様子
施餓鬼の飾り
施餓鬼の飾り
施餓鬼の読経
施餓鬼の読経
施餓鬼の様子
施餓鬼の様子
施餓鬼の様子
施餓鬼の様子

2020年2月 雪の君ヶ畑

雪の大皇器地祖神社

前日に雪が降ったので雪景色を撮影しようと、2月19日に小椋谷の君ヶ畑に出掛けた。41年前の3月6日に行った時にはかなりの積雪があったので、雪かきなどの風景を撮影している。
今年は例年になく暖冬で雪の降る日が少ない。3年前にはかなり大雪の時があったらしいが、最近は雪の少ない年が多くなっている。2月18日にやっとまとまった雪が降り平地でも積雪となったが、午後からは雨になりその日のうちにほとんどの雪は溶けてしまった。しかし君ヶ畑は標高が430m位の所なので、少しは雪が残っているだろうと思い出かける事にした。途中の道に雪はなくて心配になってきたが、永源寺ダムの所位から少しずつ道の脇に雪が見えてきた。蛭谷の集落まで来ると少し雪は多くなったが、お天気が良くなり日も差し気温も上がってきたので雪は少なかった。しばらく山道を登り君ヶ畑に着くと里の方と違いかなり雪が残っていたので安心した。しかし積雪は20cm無い位でそれほど多くなく、日差しもあり屋根からは雪解けの滴が盛んに落ちていた。
集落を歩いたが人の姿は無かった。大皇器地祖神社の所で二人の登山者と出会い、その後今年の3月から地域おこし協力隊で君ヶ畑に来られる方と出会って少しお話をした。帰る少し前に41年前に行っていた頃に大変お世話になった瀬戸さんと偶然出会った。普段は君ヶ畑に住んでいなくて、この日は軽トラックを取りに来たとの事だった。
41年前に行った時は、子供たちが外で遊んでいたり、あちこちで雪かきや家事などをする人もいて外で多くの人を見かけた。この日は帰るまで君ヶ畑の人には合計4名出会っただけだった。住人のいる家の前や神社への参道は奇麗に雪かきがされていたが、住む人のいない家や通る人のいない細い道は雪かきはされずにそのままだった。墓地では雪の中一人の足跡がお墓の前まで続き、墓前にはきれいなお花が供えられていた。そして人家の方から川べりの道へ何の動物かは分からないが、一本の足跡が点々と続いていた。

[カメラ:EOS 5D Mark II・EOS 5D Mark III]
[レンズ:CANON EF17-40mm F4L・CANON EF24-105mm F4L]

君ヶ畑の41年前と現在
君ヶ畑の41年前と現在
君ヶ畑の41年前と現在