ルーツ探しの旅 佐賀・長崎

三川内橋

1977年に「ルーツ」というアメリカのテレビドラマが放送され見たのをかすかに記憶している。内容は親子三代の黒人奴隷の物語で、視聴率も高くて当時は日本でもルーツが流行語となり、ルーツ探しに関心が集まった。最近ではNHKで著名人の家族の歴史を本人に代わって取材する「ファミリーヒストリー」が放送されていて、私は番組のファンの一人だ。

田舎にある古い家に行くと先祖の写真をずらりと壁に飾っている部屋を見かけるが、我が家には先祖の写真がほとんど無かった。子供の頃は母方の祖母が近くにいるだけで、それ以外の祖父母は知らなかった。母から親戚の事などを時々聞いてはいたが、父の母親が再婚していて関係が少し複雑でよく理解できていなかった。それでいつかは家系図を作ろうと思っていたが、仕事をしている時は忙しく実現できなかった。

仕事をリタイヤした後に、可能な限り戸籍を取り寄せてやっと家系図を作る事ができた。家系図は江戸末期まで遡れたが、父方は4代前で母方は5代前までだった。何代も続く古い家柄でもないので、戸籍で辿れるのはそこ位までのようだ。内容について聞きたい事は沢山あるが、両親はもういないのでそれもできない。

父の戸籍地は福岡県中間市で5才の頃に父親(祖父)と死別して、母が再婚する時に連れ子として入籍している。古い戸籍には継子と記載されている。母の父親も5才の頃に亡くなり、母親(祖母)は出身地を離れたまま再婚はしていない。戸籍によると母の父親は高知県だったが、父の両親は二人とも長崎県で、母の母方を辿ると長崎県と佐賀県だった。

いつか両親の関係する長崎、佐賀方面へルーツ探しに行きたいと思っていたが、9月17日に法事で福岡(北九州市八幡西区)へ行く事になった。そのついでにハウステンボスも計画に入れて長崎と佐賀方面へ行く事にした。

法事の翌日に最強級と予報された台風14号が九州に上陸、19日午前8時過ぎにはすぐ近くを台風の中心が通り過ぎて行った。宿を予約していたので、まだ台風の強風域ではあったが予定通りに佐賀、長崎方面に車で出発した。

まず母方の祖母の母(曾祖母)の出生地である佐賀県伊万里市波多津町(旧西松浦郡波多津村)に行った。山間の静かな所で旧姓で聞いてみたが、近所には該当する人はいなかった。

佐賀県伊万里市波多津町(旧西松浦郡波多津村)
佐賀県伊万里市波多津町(旧西松浦郡波多津村)の本籍付近

次は父方の祖母の父(曾祖父)の本籍に行った。長崎県松浦市調川町(旧北松浦郡調川村)で、やはり山間の静かな所で旧姓で聞いてみたが、近所には該当する人はいなかった。

長崎県松浦市調川町(旧北松浦郡調川村)
長崎県松浦市調川町(旧北松浦郡調川村)の本籍地付近

次は父の出生地である長崎県松浦市調川町上免(旧北松浦郡調川村上免)へ行った。やはり山間の静かな所だったが、区長さんを紹介してもらったので色々と話を聞くことができた。調べてもらったが近所には旧姓で該当する人はいなかったが、この辺には昔は炭鉱があった所だと教えてもらった。
調川町はかって石炭産業で栄えていて、近くに松福炭鉱や中興江口炭鉱などがあったとの事だった。近くには炭鉱の坑口があり、ボタ山もあって下免の方からトロッコで運んでいたそうだ。ボタ山の跡だと教えてもらった所は、年月が経ち緑に覆われていて説明を聞かないとそれだったとは分からない。

1961~1969年松浦市調川町
1961~1969年長崎県松浦市調川町上免(旧北松浦郡調川村上免)
「出典:国土地理院撮影の空中写真(1961~1969年撮影)を加工」
赤丸印の中央部が本籍の地番付近で、左上にはまだ炭住らしきものがある。
赤丸の中央左が現在は緑の小山になっているボタ山の跡ではないかと思われる。
1974~1978年松浦市調川町
1974~1978年長崎県松浦市調川町上免(旧北松浦郡調川村上免)
「出典:国土地理院撮影の空中写真(1974~1978年撮影)を加工」
松浦市調川町上免(旧北松浦郡調川村上免)本籍の付近
太陽光パネルのすぐ後ろの緑の盛り上がっている所は、以前ボタ山だったと教えてもらった。
左の小山の所には炭鉱の坑口があったとの事だった。

ここまで手掛かりは何もなかったが、念のために調べておいた父方の祖母の父(曾祖父)の長男つまり祖母の兄の死亡地に行ってみた。もしかするとゆかりのある人がいるかもしれないと思ったからだ。
そこは佐世保市鹿町町下歌ケ浦(旧北松浦郡鹿町町下歌ケ浦免)で、地番付近の道路で洗車している方がいたので尋ねてみた。偶然にもそこの区長をされている人で、小さい頃から住んでいて以前は豆腐屋をやっていたらしい。聞くと死亡地の番地はこの辺り一帯のもので、旧姓と同じ名前の人は近くにいないとの事だった。この土地の事を聞くと、以前は炭鉱の住宅があった場所だと教えてくれた。

調べるとここには日鉄鹿町炭鉱があった。正式には日鉄北松鉱業所で、子供の頃に見た事がある初のカラー東宝怪獣映画「空の大怪獣ラドン」(1956年公開)のロケ地だった。
長崎県北部の北松浦半島一帯にある炭田は北松炭田または佐世保炭田と呼ばれて、ウィキペディアによると江戸時代から始まった採炭事業は1955年(昭和30年)には、操業中の炭坑98ヶ所、年間出炭量336万トン、従業員総数は約1万8千人という規模だった。1973年(昭和48年)に本ヶ浦鉱(鹿町町)閉山で石炭採掘の歴史が終わっている。

こうしてみると、私の祖先は古くは農家で石炭産業が近くで興りそれに従事していたのではないかと思われる。その後どのようになったか知るすべも無いが、父は母親と一緒に1934年(昭和9年)に松浦市調川町から石炭産業が盛んだった筑豊地方の福岡県中間市で再婚している。

1961~1969年佐世保市鹿町町下歌ケ浦
1961~1969年佐世保市鹿町町下歌ケ浦(旧北松浦郡鹿町町下歌ケ浦免)
「出典:国土地理院撮影の空中写真(1961~1969年撮影)を加工」
丸印中央が本籍の地番で、炭住らしきものがある。
道路を挟んだ海側にも炭住らしき建物が写っている。
1974~1978年佐世保市鹿町町下歌ケ浦
1974~1978年佐世保市鹿町町下歌ケ浦(旧北松浦郡鹿町町下歌ケ浦免)
「出典:国土地理院撮影の空中写真(1974~1978年撮影)を加工」

最後に母方の祖母の父(曾祖父)の本籍地である、長崎県佐世保市三川内町(旧東彼杵郡折尾瀬村三川内免)に行ってみた。ここは三川内焼で知られる所で、江戸時代から続く陶磁器の生産地である。本籍地付近に住む人に聞いてみたが、残念ながらここでも手掛かりは何もなかった。

今回のルーツ探しでは大した成果は無かったが、祖先の住んでいた土地柄や仕事に関しては少しだけ想像できたので良かったと思っている。これで九州編は終わりになるが、母方の祖父の出身地である高知県にも近いうちに行ってみたいと思っている。

三川内-01
長崎県佐世保市三川内町(旧東彼杵郡折尾瀬村三川内免)の本籍地付近
台風14号の影響で稲穂が倒れている
三川内-03
本籍付近にある三川内橋
三川内-02
川内橋の親柱は陶板と陶器の壺で装飾してある

阿下喜を歩く まちの観察会

濃州道の阿下喜

9月11日に野外活動研究会の「まちの観察会」に参加して、三重県いなべ市北勢町阿下喜(あげき)を歩いた。いなべ市は三重県最北端にあり西は鈴鹿山脈で滋賀県と接し、北は養老山地で岐阜県に接している。
阿下喜はその中央に近い所にあり、現在東海環状自動車道の工事も進行中で、やがて北は大垣そして南は四日市に通じる予定になっている。

阿下喜には古い街道である濃州道が通っていて、江戸時代の頃はこの辺の中心的な商業集落として酒造家や旅籠などもあり賑わっていたようで、古い商家の建物が残る町並には昔の面影が残っている。

私が住む彦根からは鈴鹿山脈の鞍掛峠を越えて車で一時間弱と割に近い所にあり、南では石榑トンネルを経由すると木地師の里である東近江市の君ヶ畑に通じる。
私は車で行ったが会員の多くは名古屋から近鉄またはJRで桑名まで行き、三岐鉄道北勢線の西桑名駅から阿下喜駅10:07着の列車で来るので、駅で午前10時10分の集合だった。その後皆で濃州道沿いなどを歩いて気になったものなどを撮影記録した。